美術史的価値
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/07 17:44 UTC 版)
「後醍醐天皇宸翰天長印信(ろう牋)」の記事における「美術史的価値」の解説
本作品は、書だけではなく、料紙装飾も美術史的に注目される。この料紙装飾が後醍醐天皇と文観房弘真のどちらの創意によるものかについては、仏教美術史研究者の内田啓一は、文観の師である道順に帰依した後宇多天皇(後醍醐父)の仏教書『灌頂私注』上下二巻にも蝋箋料紙が用いられていることを指摘し、装飾事相書というべきものが当時あったのかもしれないとし(事相書とは真言密教の実践書)、朝廷文化ではなく密教美術の系譜に連なるものとしている。 本作品の国宝指定名称に含まれている蠟牋、あるいは蝋箋(ろうせん)とは、中国語の砑花紙(がかし)のことで、版木を用いて文様を磨き出した紙のことを指す。本作品では、中国から舶来した蝋箋が用いられており、茶染の竹紙の中央に、雲の中を飛ぶ有翼の仙人が磨き出されている。 さらに、蝋箋の左右には、金泥(きんでい/こんでい、金粉を膠で溶かした顔料)で龍文様が表され、四周には珠を連ねた文様が巡らされている。龍は天子の象徴。宝珠は仏教では福徳を表し、文殊菩薩との関わりが強く、文殊を強く信仰した文観の美術作品にはよく現れる。また、弟子が著した『瑜伽伝灯鈔』(正平20年/貞治4年(1365年))が主張する文観上人伝説は、文観自身が観音菩薩の宝珠の化身として生まれたと伝承する。「文観」の房号は「文」殊・「観」音から来ているというのが通説である。 舶来の蝋箋を用いた著名な墨蹟としては、栄西『誓願寺盂蘭盆会起』(国宝、誓願寺蔵)、俊芿『泉涌寺勧縁疏』(国宝、泉涌寺蔵)、道元『普勧坐禅儀』(国宝、永平寺蔵)、虎関師錬『花屋号』(三井記念美術館蔵)、雪村友梅『梅花詩』(重要文化財、北方文化博物館蔵)などがある。いずれも基本的に入宋・入元の経験がある僧が用いている。内田は、後醍醐・文観がどのようにして蝋箋を獲得したか入手経路も興味深いとしている。
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