緩やかな後退と財政難
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 04:46 UTC 版)
2004年夏にはファンデ・ラモス監督が就任からわずか1シーズンでセビージャFCに去り、グレゴリオ・マンサーノ監督が就任した。経営難によって主力のホセミやサルバを放出せざるを得ず、新戦力のマルシオ・アモローゾやパウロ・ワンチョペは使い物にならなかった。10節からの9試合で8敗を喫して降格圏に沈んでいたクラブを救ったのはアントニオ・タピア監督だった。マンサーノ監督からチームを引き継ぐとカンテラ(下部組織)からセサル・ナバスを引き上げ、最終ラインに安定感をもたらした。若手のフアン・ロドリゲスや新戦力のフェルナンド・バイアーノらの攻撃陣を積極的に起用し、最終的に10位に食い込んでみせた。2005年夏にはサルバを買い戻し、ウルグアイ代表のリカルド・モラレスを獲得したが、主力の大量放出の穴は埋まらなかった。2005-06シーズンは開幕から黒星を積み重ね、わずか勝ち点24しか挙げられずに最下位でシーズンを終えてセグンダ降格となった。また、セグンダに所属していたBチームも同シーズンは21位に終わり、トップチームの降格とは無関係にセグンダBに降格となった。Bチームは翌シーズンもさらに降格で元のテルセーラに戻ってしまい、その後も度々昇格プレーオフに顔を出しながらいまだ再昇格には至っていない。 2006年、かつてレアル・マドリードの会長を務めたロレンソ・サンスがクラブの株式の97%を取得し、かつて選手としてキャプテンを務めたロレンソの息子フェルナンド・サンスが会長に就任した。2006-07シーズンは良いスタートを切ったが、彼らの調子は劇的に落ち込んだ。ラスト6節のうち2節はセグンダB降格圏に沈んだが、この困難な状況を何とか打開し、セグンダ降格初年度を乗り切って残留を果たした。2007-08シーズンも7連勝するなどしてスタートダッシュを決め、昇格への軌道に乗っているように思われたが、やはり調子を崩し、首位の座をCDヌマンシアに奪われた。最終節はホームでのCDテネリフェ戦であり、プリメーラ昇格を決定づけるには勝利が必要であったが、アントニオ・イダルゴの2得点で2-1と勝利して2位の座を守り、3シーズンぶりのプリメーラ復帰を決めた。 2008年夏にはタピア監督を復帰させ、プリメーラ昇格に貢献したDFヘスス・ガメスやMFアポーニョを引き留めつつ、以前に所属経験のあるMFセルジオ・ドゥダ、FWアルベルト・ルケなどを獲得。2008-09シーズン開幕から4試合は無得点で1分3敗と苦戦したが、5節のバリャドリード戦で初勝利を挙げると、8節のアウェーでのセビージャ戦まで4連勝し、その後は安定して一桁順位をキープした。A・ルケは途中出場が多いながらも8得点と復活し、ドゥダはチームトップの8アシストを決めるなど、シーズン前に補強した選手が期待に応えた。プリメーラ初挑戦のアポーニョとFWナビル・バハはそれぞれ9得点を挙げ、55得点はリーグ6位の成績だった。最終的に8位でシーズンを終え、昇格組として最高の成績を残した。2009年にアンダルシア州のセビージャ、ウエルバ、ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ、マラガを開催地として行われたピース・カップでは、アストン・ヴィラFC(イングランド)に勝利したが、アトランテFC(メキシコ)に敗れ、グループリーグ最下位に終わった。2009-10シーズンのリーグ戦は前シーズンと一転して17位と苦戦した。
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