統合2社の生い立ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 01:24 UTC 版)
「コカ・コーラボトラーズジャパンホールディングス」の記事における「統合2社の生い立ち」の解説
日本の清涼飲料メーカーは、少子高齢化などの影響で成長が見込めにくい上、同業他社との経営競争が激しい為、経営基盤を強化することを念頭に統合や合併などを繰り返してきた。特に日本のコカコーラボトラーは1990年代以降、効率化やコスト削減などの目的から、日本国内のボトラー間でも再編の機運が高まった。その中でコカ・コーライーストジャパンとコカ・コーラウエストは、各地に点在していたボトラーの合併を繰り返して誕生した。 コカ・コーライーストジャパンは、2013年7月1日に、関東・東海地方を営業基盤とするコカ・コーラボトラー4社(コカ・コーラ セントラル ジャパン(初代)、東京コカ・コーラボトリング〈東京〉、三国コカ・コーラボトリング〈埼玉・群馬・新潟〉、利根コカ・コーラボトリング〈千葉・茨城・栃木〉)の経営を持株会社方式で統合。神奈川・山梨・静岡の3県を担当していた富士コカ・コーラボトリングと、愛知・岐阜・三重の東海3県を担当していた中京コカ・コーラボトリングが、2001年6月に統合し誕生した「コカ・コーラ セントラルジャパン(初代)」が他の3社を株式交換で完全子会社化するとともに、セントラルジャパン(初代)の事業部門を新設会社の「コカ・コーラ セントラルジャパン(2代目)」に新設分割。持株会社となったセントラルジャパン(初代)が、社名を「コカ・コーライーストジャパン」に変更し誕生。2015年4月1日には、仙台コカ・コーラボトリングを株式交換方式により事業統合し、南東北(宮城・山形・福島)が担当区域に加わり、現在に至る。 コカ・コーラウエストは、福岡・佐賀・長崎の九州北部を担当していた北九州コカ・コーラボトリングが1999年7月1日に中国地方(広島・鳥取・島根・岡山・山口)を担当していた山陽コカ・コーラボトリングを合併して商号変更したコカ・コーラウエストジャパンが母体。2005年には、近畿地方の京阪神地域(大阪・京都・兵庫)を担当していた近畿コカ・コーラボトリングとその子会社で近畿東南部(奈良・滋賀・和歌山)を担当していた三笠コカ・コーラボトリングと包括的な業務提携契約を結ぶことで合意し、2006年7月1日に、コカ・コーラウエストジャパンが持株会社化したコカ・コーラウエストホールディングスの傘下になる形で経営統合した。この統合により近畿地方・中国地方・九州北部を管轄する巨大ボトラーとなり、事業規模でもサントリーに次ぐ国内清涼飲料販売第2位となる。2009年1月1日、北九州・山陽・近畿のボトラー子会社3社を吸収合併し、コカ・コーラウエストに商号変更して一般事業会社となった。さらに2013年には九州中南部(熊本・大分・宮崎・鹿児島)を担当していた南九州コカ・コーラボトリングを統合、2015年には四国(香川・徳島・愛媛・高知)を担当する四国コカ・コーラボトリングを完全子会社とする。これにより、近畿・中四国・九州(沖縄を除く)の西日本22府県を統括するコカ・コーラボトラーとなった。また、青汁で知られる食品加工品会社・キューサイも旧コカ・コーラウエストの子会社の一つ(2010年に買収・子会社化)である。
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