経営と人材育成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 08:35 UTC 版)
1975年、北里大学薬学部教授に就任した。これまでに大村研究室は多くの研究者を育て、120名が博士号を取り、そのうち30名が教授になっている。化合物を探索する研究は、様々なプロセスを受け持つ人の共同作業であるため、人材育成を研究の柱として重視した。 1984年、教授職を辞職し、北里研究所の副所長に就任すると、経営に注力することになる。経営学と不動産学を学び、財政が悪化していた北里研究所(当時は社団法人)の経営を立て直した。1989年、第2病院として「北里研究所メディカルセンター」(現:北里大学メディカルセンター)を設立。1990年、北里研究所の所長となり、北里研究所と学校法人北里学園との統合を行い、法人の名称を「学校法人北里研究所」に変更した。 2001年、大学院の研究部門である「北里生命科学研究所」を創設し、初代所長と教授を兼務した。また、2002年から2007年まで北里大学の大学院教育部門である「感染制御科学府」でも教授を務めた。2007年、北里大学の名誉教授となり、その後も、北里生命科学研究所の特任教授として、特別研究部門である天然物創薬推進プロジェクトのスペシャルコーディネーターを務めた。2013年には、北里大学の特別栄誉教授となった。 北里グループ以外の教育研究機関では、ウェズリアン大学にてマックス・ティシュラーの名を冠した「マックス・ティシュラー教授」を2005年より兼任している。また開智学園(埼玉県)の学校名を名付け、名誉学園長を務めている。開智学園では理系最優秀生徒に対して「大村賞」を授与し表彰を行っている。山梨県の科学技術の振興を目指して(社)山梨科学アカデミーを創設し、名誉会長を務めている。 美術にも造詣が深く、14年間にわたり女子美術大学理事長を務めた(2015年7月から同大学名誉理事長)。同大学に妻・文子の名を冠した「大村文子基金」を私費で設立。女子美生の留学資金(女子美パリ賞・ミラノ賞)と美術活動費(美術奨励賞)を支援している。また、故郷の山梨県韮崎市に、自身が収集してきた女流作家を中心とした2,000点余の絵画や陶器を展示する韮崎大村美術館を建設し、収蔵品と共に韮崎市に寄贈し初代館長を務めた。
※この「経営と人材育成」の解説は、「大村智」の解説の一部です。
「経営と人材育成」を含む「大村智」の記事については、「大村智」の概要を参照ください。
- 経営と人材育成のページへのリンク