米沢藩復権運動とは? わかりやすく解説

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米沢藩復権運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/11 04:35 UTC 版)

宮島誠一郎」の記事における「米沢藩復権運動」の解説

宮島出身である米沢藩賊軍として戊辰戦争降伏した後も、その汚名復権させることに精力尽くした。旧米沢藩重臣であった千坂高雅新政府出仕(のちに石川県令岡山県令などを歴任)、および旧主上杉斉憲官位従四位復活に向けて盛んに新政府に対して働きかけている。廃藩置県米沢藩消滅した後も斉憲の復権運動進め明治8年1875年4月13日には斉憲の参内明治天皇への拝謁までこぎ着けたが、復位については却下された。宮島幕末期以来親交のあった侍補吉井友実(旧薩摩藩士)や侍従山岡鉄舟などの天皇側近通じて岩倉へも工作。ついに明治13年1880年5月18日上杉斉憲従四位復位し幕末以来米沢藩雪辱果たされた。その後宮島は斉憲の昇叙運動続け明治22年1889年)にはついに斉憲が従三位昇進宮島上杉家から謝儀として金35円を贈られた(なお、昇叙1月後に斉憲は死去)。 宮島藩閥政府中にあって大久保利通吉井友実伊地知正治薩摩閥と長く親交保ち米沢出身後輩出世促した雲井龍雄明治3年捕らえられ処刑されたが、米沢藩藩閥政権時代にあって中條政恒島根県権令太政官小書記官)、平田東助農商務大臣内務大臣内大臣)、池田成章大蔵省御用掛、のち両羽銀行現在の山形銀行初代頭取)、山下源太郎海軍大将)らの人材を輩出している。

※この「米沢藩復権運動」の解説は、「宮島誠一郎」の解説の一部です。
「米沢藩復権運動」を含む「宮島誠一郎」の記事については、「宮島誠一郎」の概要を参照ください。

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