第5次攻防戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 23:24 UTC 版)
10月8日早朝、高地一帯が濃い霧で覆われた状況で中共軍は5度目の攻撃を再開した。午前5時30分に第334団は駱駝高地などを足場にし、大隊規模の新たな攻撃部隊を追加して三方向から395高地を攻撃した。 第28連隊第2大隊は濃い霧によって砲兵及び航空支援を十分に受けることができず、空軍機の誤爆を受けて、午前8時10分に主峰を中共軍に奪われた。報告を受けた第9師団は、予備の第28連隊第3大隊を投入することにして午後0時に作戦指示66号を隷下部隊に通達した。第28連隊第3大隊は、午後2時に255高地を出発して攻撃待機地点に移動し、午後5時に一斉攻撃する予定でしばらく待機した。 それまで国連軍砲兵の砲撃と空軍の近接航空支援が続いていた。第2大隊が反撃に失敗した後、制圧射撃をしていた砲兵は午後4時40分から攻撃準備射撃に切り替え、午後5時までの20分間の集中砲撃で395高地一帯を焦土化させた。第5空軍所属の戦闘爆撃機編隊が午前12時40分から攻撃開始前まで、10回にわたって中共軍の集結地と砲陣地、戦車を強打するなどした。 午後5時、第28連隊は第3大隊を投入して反撃を開始したが、中共軍の頑強な抵抗を受け死傷者が続出して進展はなかった。午後5時20分頃から砲撃を増強して攻撃部隊だけでなく395高地の主抵抗線一帯が硝煙で覆われた。これまで1日平均4,000~5,000発が砲撃されたが、8日の砲撃はその倍を上回り、特に第3大隊の攻撃後に加えられた砲撃は最も激しいものだった。 第9師団は使用可能な火力を総動員して最大限の最大限の支援射撃を加える一方、左右隣接師団に協力を要請して火力の増員を図り、航空照明下に105ミリ野砲大隊4個、155ミリ野砲大隊2個、第49砲兵大隊の8インチ砲、さらに隣接師団の砲兵まで加わり、射撃指揮本部の目標提示に基づいて猛烈な砲撃を行った。また2個戦車中隊と1個重迫撃砲中隊、歩兵大隊重火器中隊もこれに加わった。強力な火力支援を受けて第3大隊は午後10時に再度攻撃を行い、第2大隊の側方支援を受けながら1時間にわたって手榴弾戦を展開する中、中央の第10中隊が頑強な抵抗を押しのけて果敢に攻撃し、午後11時頃に395高地を奪還した。 しかしこれまでの戦闘で第28連隊と第30連隊は再編成が必要なほどに消耗していた。第9師団は捕虜の供述から中共軍の攻撃が当分の間続くものと判断し、第51連隊を右第一線に配置するとともに、第29連隊を395高地で運用する腹案で第28連隊、第29連隊を師団予備に転換した。 第29連隊は担当地域を第51連隊に引き継がせ、10月8日から9日の夜間に第1大隊と第3大隊を255高地及び火田里地域に移動させ、9日と10日夜間に第2大隊を255高地に集結させ師団予備として逆襲準備を整えた。
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