第二章 人類と食的関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 02:22 UTC 版)
まず「人間生活の中心は食にあり」と木下謙次郎は主張している。その実例として、中国の古典文献から引用し、あるいは徒然草の中でも人間に必要なものを衣食住の三つあるが、なかでも食物が第一であるとしている。また英国、ドイツにおける台所の位置づけ、古代ギリシャ、エジプトの事例からも食と食を整える場所の重要性を示している。 「食」は命を支えるのに不可欠なものである、しかしながら「食」は時としてある種の楽しみ(エンターテイメント)して捉えられることもある。それが大食いや、大酒として行われることがある。その実例として、殷の紂王が実際に行った酒池肉林。アッバース朝のアルマレソル王の大饗宴。ローマ時代のシーザーの凱旋祝賀会。富豪ルクッルスは一度の食事に常に850万円を費やしていた事。ペトロニウスの『トリマルキオの饗宴』。エジプトの女王クレオパトラが催したトレミイー王宮で一国ほどの価値のある真珠を酢に溶かして飲みほした宴。漢の孝武の宴会。フランスのルイ16世のヴェルサイユ宮殿での宴。豊臣秀吉が桃山時代に催した北野の大茶会、醍醐の花見。清朝時代の満漢全席。このような歴史的な事例が列挙され、説明されている。 また飲酒においても、それが競技のように行われた事例も述べられていて、アレキサンダー大王がインド征伐から帰還する途中のゲドロシヤで行われた飲酒競技。宇多天皇(当時太上法皇)により開催された大酒会。慶安の頃に江戸でおこなわれた地黄樽次と池上底深の酒戦。こうした事例が挙げられている。 続いて、そのように火を使った食事が始まったのかも論じられている。人類が火を使い食事をするようになった起源はそんなに昔ではく、新石器時代に始まったとされ、今から約1万年前、あるいは1万2千年前であると想定されるとしている。また火を使った食事の歴として、日本では奥津日子の神と奥津日賣の二神が火食を教えたと伝えたこと。中国の歴史では書契以前に燵人氏の出の者が、木を擦って発火させ、それをもって火食を教えた事などの伝説的な事例をあげている。 いずれにせよ。木下謙次郎は「人は火食によって始めて獣類の域を脱したと言え、調理の技術の有無は、人と獣類を区別するための境界線のひとつであると言うべきである」と述べ、これが人類特有の技術であること、さらには火を使った食事の始まり、つまり調理が人類の大きな転機となったことを示している。
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