第二次琿春事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/01 22:29 UTC 版)
事件前の9月30日、約50人の馬賊は、琿春県大荒溝の中国軍の工兵営(定員34人)を襲い、大部分を拉致し、武器弾薬の全てを奪取している。 10月1日午後4時、馬賊頭目の鎮東が青溝子に到着したとの情報が入り、午後6時に中国工兵60人が出て東門辺りの警備を始めた。日本人は自警団を組むことなく、領事館への避難は随意とし、その安全は警部1人、日本人警察官10人に委ねられた。領事は同夜に急使を発し、午前12時に慶源守備隊に到着、守備隊は午前3時50分に特務曹長以下10人を琿春に向けて派遣した。 10月2日午前4時、琿春に400人の馬賊が来襲、中国製37mm軽砲3門を付近の125高地から適宜発射しつつ、先ず市街西端にある日本領事館付近の中国兵を撃退、100人程が喚声を上げて領事館の各門に殺到、新型手榴弾を投げ込みつつ小銃を発砲した。領事館の武装人員は10余人であり、衆寡敵せず、馬賊は領事館に放火、手榴弾を投げ込み、一時間後にラッパを吹きながら居留地方面の中国人街に向かった。居留地では掠奪をつくし、一部の家屋を焼却した。慶源守備隊の到着は遅れ、馬賊は日本人1人、中国人・朝鮮人数人を拉致して午前8時頃ラッパを吹きながら来た方向と同じ方角に帰っていき、中国軍の一部は追撃したが、若干の損害を与えたのみであった。 この襲撃により領事館警察署長、朝鮮人巡査、在郷軍人の3人は戦闘により、その他男性6人、女性2人、子供2人の計13人が殺害され、重傷11人(うち1人後に死亡)、軽傷20余人を出した。馬賊側は30余人の遺棄死体を残した。被害者はほとんど日本人であり、朝鮮人は3人、中国人は1人に過ぎなかった。在留日本人は女性と子供の全て、男性は三分の一を慶源に引き上げ、中国人・朝鮮人も田舎へ避難する者が多く、市街は閑散とした。
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