第二次独立戦争の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/25 14:06 UTC 版)
「第二次キューバ独立戦争」の記事における「第二次独立戦争の経緯」の解説
1895年2月24日にスペインの支配に対して反発する蜂起が各地で発生、第二次独立戦争が開始された。マルティは3月25日に競合する革命軍指揮者であるマクシモ・ゴメスの賛同も得てドミニカ共和国でモンテ・クリスティ宣言を発表、平等な世界を実現するために歴史的任務として戦闘状態に入る事を表明した。 4月1日にキューバへ向けて出発したマルティとゴメスら6人は11日にキューバ東部の海岸に上陸を果たし、進軍を開始した。しかし、マルティは5月19日にスペイン軍の待ち伏せに遭って落馬してしまい、亡くなってしまう。 その後にゴメスとアントニオ・マセオは双方に分かれて作戦を展開した。マセオは1895年12月7日に戦死して西部戦線が崩壊していく中、ゴメス率いる部隊はスペイン軍に対する攻撃を継続。以降は膠着状態に突入していく。 2年以上が経過し、スペインの植民地政府には最早戦争に供給していくための資金は残っていなかった。1898年2月15日にアメリカ海軍の軍艦、メイン号の爆発事件が発生し、スペイン海軍による仕業だと報道された。植民地政府は自治権を付与し、反乱軍に歩み寄りの姿勢を見せた。スペイン軍司令官のラモン・ブランコは反乱軍のリーダーであるゴメスに、アメリカに対する共闘を提案したが、ゴメスはこれをきっぱりと拒否した。
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