第二次小学校令の「徒弟学校」
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「徒弟学校」の記事における「第二次小学校令の「徒弟学校」」の解説
1890年(明治23年)公布の小学校令(第二次小学校令)には、「実業補習学校」と「徒弟学校」を小学校の一種とするという規定が設けられた。これが法規上「徒弟学校」が初めて登場した例となる。 ただし「実業補習学校」「徒弟学校」については名称が挙げられるのみで、教科目や修業年限については、文部大臣が定めるとした規程(小学校令第9条)が制定されるまで府県知事が便宜取り計らうこととされた。「小学校令による「徒弟学校」は制度的には成立しなかったとみて差しつかえない」という評価もある。こうした中で1890年(明治23年)8月に設立された東京工業学校付属職工徒弟学校(先述)は、「徒弟学校」の雛形となりうるものであった。 1892年(明治25年)、手島精一は「徒弟学校施設ニ関スル意見書」を雑誌『教育時論』に発表、年季徒弟制の欠点(教育が体系立っておらず、親方の雑用にも使役されるために技術習得に時間がかかる)を是正して合理的な職工を育成する機関として「徒弟学校」を位置づけ、特定産業(製陶業・織物業など)の盛んな地域に設置して伝統産業の近代化を直接的に働きかけるものと、人口の多い都市部に木工・金工等に関する学校を設けて間接的に伝統工業の振興を図るものの二種類を構想した。ただし一方で、年季徒弟の労働慣行(親方への絶対服従や長時間労働など)については追認・妥協しており、あくまでも殖産興業・富国強兵の観点からの「改善」であるとの指摘もある。また手島は徒弟学校の類型として、尋常小学校卒業者に職業実習を施す「第一種徒弟学校」(これを徒弟学校の本来あるべき形とした)、尋常小学校中退者に初等教育と職業教育を施す「第二種徒弟学校」、女子に手芸等の教育を施す家計補助的職業教育機関「女子職業学校」を設定した。「徒弟学校」は構想段階から、さまざまな機能を担わされていたことになる。
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