第三春山号
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/09 07:07 UTC 版)
第三春山号(1951年 - 1975年)は、最後の純血木曽馬である(実際の血量は98.44%とされている。木曽馬において原産地では一般的に純血という表記は使わず、純系種と呼ぶ。これは少なからず明治~昭和期にかけて外来品種の影響を受けているためで、100%純血の木曽馬という表現ではなく極めて血が濃い純系という表現となっている。)。体高は132cm、体長は158cm(体高比 119.6)、胸囲は170cm(体高比 128.7)、管囲は18cm(体高比 13.6)という馬格であった。 父は「神明号」、母は「鹿山号」で、いずれも純血である。 父神明号は、軍用馬の馬格改良を背景とした1939年制定の種馬統制法により民有木曽純血種雄馬(種牡馬)が去勢廃用処分となっていたところ、軍人を祀る武水別神社の神馬であることから処分を逃れており、1950年に再発見され神社より払い下げを受けた上で木曽馬登録事業の本登録馬(木曽純血種)第1号として登録されるとともに種雄馬として供用されたものである。 一方母鹿山号は木曽福島新開で飼育されていた。 第三春山号は1953年に種雄馬の検査に合格し 長野県有の種雄馬(種牡馬)となるものの、農業機械の普及による山間地農耕馬としての木曽馬需要の減少から放出。殺処分の危機を免れ、複数の農家を転々とし最後に開田村に戻った。木曽馬保存会の手により木曽馬の系統維持に当たり、木曽馬の血統の復元に貢献した。産駒は「春月号」、「春風号」、「蘇山号」をはじめとする約700頭。1973年に日本動物愛護協会より表彰される。 1974年末に老衰で倒れ、地元開田でのお別れ会を行った後1975年1月17日に馬齢25歳で安楽死処分された。内臓と骨格は名古屋大学農学部に研究用標本として保管され、皮は剥製となり開田村(その後合併により木曽町)の郷土館 に置かれた。処分時点で第三春山号は老衰による骨軟化症や黄疸を発症しており、木曽馬のあるべき姿を標本として残すために自然死を待たずに処分された件は議論の的となった。
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