第一次台湾海峡危機とは? わかりやすく解説

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第一次台湾海峡危機(1954年 - 1955年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 20:00 UTC 版)

台湾海峡危機」の記事における「第一次台湾海峡危機(1954年 - 1955年)」の解説

詳細は「第一次台湾海峡危機」を参照一江山島戦役」および「大陳島撤退作戦」も参照 国共内戦結果1949年中国国民党率い中華民国政府中国大陸での統治権喪失し台湾移転したが、中国西南部山岳地帯及び東南沿岸部島嶼一帯では中国共産党対す軍事作戦継続していた。しかし1950年になると、舟山群島海南島中国共産党人民解放軍奪取され、また西南部でも人民解放軍ミャンマー国境地帯進攻したため国民党台湾及び福建省浙江省沿岸一部島嶼金門島、大陳島、一江山島)のみを維持する留まり東シナ海沿岸での海上ゲリラ戦術共産党対抗していた。 朝鮮戦争影響沿岸部における侵攻作戦休止しはじめ、中国視線徐々に朝鮮半島移転するのを機に国民党反撃幾度か試みたものの(南日島戦役東山島戦役戦果期待したものとはほど遠く大陸反攻への足がかりを築くことができなかった。そして、朝鮮戦争収束するにつれ共産党視線は再び沿岸部向きはじめるようになるこの間人民解放軍ソ連から魚雷艇ジェット戦闘機入手して現代的なとしての体制整えつつあった。 1954年5月中国人民解放軍海軍空軍支援の下大陳島及び一江山島周辺の島々占領し10月までに砲兵陣地魚雷艇基地設置した9月3日から金門島守備当たっていた中華民国国軍対し砲撃行った93砲戦)。11月14日一江山島沖で人民解放軍魚雷艇国民党軍海軍護衛駆逐艦太平』(旧アメリカ海軍デッカー (護衛駆逐艦))を撃沈する周辺制海権掌握した1955年1月18日には解放軍華東軍区部隊軍区参謀長張愛萍指揮の下、一江山島攻撃陸海空共同作戦により午後5時30分一江山島解放軍により占拠され台湾軍指揮官である王生明は手榴弾により自決している。 一江山島失った台湾側は付近の大陳島の防衛は困難と判断2月8日から2月11日にかけてアメリカ海軍中華民国海軍共同作戦により大陳島撤退作戦実施され浙江省拠点放棄したことで事態収束迎えた

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