立地、構造と遺物とは? わかりやすく解説

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立地、構造と遺物

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:29 UTC 版)

一塚古墳」の記事における「立地、構造と遺物」の解説

仙台市都心部から南西にある大年寺山南方沖積平地造られた。かつては300メートル西に二塚古墳があり、1キロメートルほど離れて北東兜塚古墳南西には裏町古墳があった。一塚古墳はこれらより後、6世紀頃に造られたと推定される直径は約36メートル22-23メートル15メートルともいい、高さは3.6メートルほどあった。前方後円墳説もあるが、円墳とする説が有力である。当時周囲水田で濠の有無不明埴輪は見つからなかった。 1906年明治39年4月6日発掘したところ、墳丘の下60センチほどのところに、石の破片積み上げて作り板状の石5をした竪穴式石室見つかった石室中に家形石棺があったが、石室密着しており、石棺置いてから築かれたのではないかという。中には銅鏡などの副葬品置かれた。 石棺は、墳丘中心からやや外れたところにあった。内部直方体空洞作るようにくりぬいた石で、上にとして乗る石が家の屋根のような傾斜を持つ。長さ238センチ、幅90センチ除いた高さが58センチであった上下とも、横に左右二つずつ短く太い円柱突き出ており、縄をかけるためとされるの中と、上下の石が接す部分には、塗られていた。家形石棺とされるが、船形石棺分類すべきとの説もある。 この石棺東北地方では異色立派なのである考古学的発掘未だ少なかった時代には大い注目され、「畿内大古墳から出るものに比して少しも遜色ない」と評されたが、後には「畿内関東出土家形石棺較べると、粗末な感じ覆いがた」いという評価下された発掘時に石棺内部には溜まっており、人骨は見つからなかった。副葬品として、銅鏡文鏡)1枚勾玉5個、瑠璃小玉ガラス玉多数滑石小玉臼玉)6個、金環1個が見つかった。鏡は、16.1センチメートル白銅製で、背面文様磨耗がみられた。磨り減ったのは伝世重ねたためと考えられる後漢後半製作され舶載鏡鑑定されたが、後には国産とも説かれた。小玉中央に紐を通すための穴を持ち滑石製は径約4センチメートルガラス玉濃淡様々の青い玉438個、緑色のものが20個あった。配置状態は不明である。金輪針金状金製で、別の形をしていたもの発掘後にゆがんだという。

※この「立地、構造と遺物」の解説は、「一塚古墳」の解説の一部です。
「立地、構造と遺物」を含む「一塚古墳」の記事については、「一塚古墳」の概要を参照ください。

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