立地決定まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 01:19 UTC 版)
日本原子力発電(以下「原電」)の発電所は当初、旧坂井郡川西町(現福井市)の三里浜地区に建設される予定であったが、地質上、発電所建設に向かないものとして川西町内での設置を断念し、敦賀半島で建設計画が進められた。 1961年9月18日 - 川西町議会、三里浜地区に原電第2発電所の誘致を決議。 1962年3月3日 - 福井県議会、三里浜地区に発電所誘致を決議。 1962年5月 - 当時の福井県知事北栄造、敦賀市長および美浜町長に発電所計画への協力を依頼。翌月、原電は三里浜地区への建設を正式に断念。 1962年9月21日 - 敦賀市議会、原子力発電所の誘致を決議。 1962年11月9日 - 敦賀発電所建設予定地を敦賀半島尖端部に決定。調査していた敦賀市と美浜町の2地点のうち、敦賀市側は原電、美浜町側は関西電力が開発を進めることを決定。
※この「立地決定まで」の解説は、「敦賀発電所」の解説の一部です。
「立地決定まで」を含む「敦賀発電所」の記事については、「敦賀発電所」の概要を参照ください。
- 立地決定までのページへのリンク