科学と知識
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 15:59 UTC 版)
詳細は「中世の科学」および「中世の薬学」を参照 中世前期の哲学や科学に関する教授法は、西ローマ帝国崩壊後に西ヨーロッパに残った古代ギリシア語本の若干の写しと注釈本をもとにしていた。その殆どはギリシア語の知識が非常に限られていたためにラテン語でのみ研究された。 この流れは12世紀ルネサンス期に変わった。ヨーロッパの知的復興は、中世の大学の誕生とともに始まった。レコンキスタでスペインやシチリアのイスラーム世界との接触や十字軍で東ローマ帝国の世界やイスラームのレバントとの接触を増したことで、アリストテレスやイブン・アル・ハイサム、イブン・ルシュドの著作などのアラビア語やギリシャ語の科学文献にヨーロッパ人は接することができた。ヨーロッパの大学は、実質的にこうした書籍の翻訳と普及を支援し、科学的なコミュニティーのために必要な新しい基礎作りを始めた。 13世紀初めには大学と男子修道院を通じて科学思想の完全な移行を認めながら殆ど全ての知的に重要な古代の作家の主要な作品のほぼ完全なラテン語訳があった。その時までにこの書籍に含まれる自然科学は、ロバート・グロステストやロジャー・ベーコン、アルベルトゥス・マグヌス、ヨハネス・ドゥンス・スコトゥスのような有名なスコラ学者により発展し始めた。現代の科学的方法の先駆けは、自然を理解する手法として数学をグロステストが重視し、ベーコンは経験に基づいた接近法を称賛する行動(特にOpus Majus)に既に見ることができる。
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