礼部
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礼部(れいぶ、満洲語:dorolon i jurgan)は、六部の一で、礼楽儀仗・教育・国家祭祀・宗教・外交・科挙などを司掌した。
祖型は漢代にまで遡り、歴代王朝を通じて整備が進み、一時は祠部と改称された。唐代には、長官に尚書(礼部尚書)、次官に侍郎(礼部侍郎)が置かれ、礼部に属する礼部司(礼楽・儀式・衣冠など)・祠部(しぶ)司(祠祀・国忌・廟・諱・天文・医薬・宗教)・膳部(ぜんぶ)司(飯膳・食糧)・主客(しゅかく)司(外交)の4司それぞれに判官である郎中(ろうじゅう)と員外郎(いんがいろう)が設置された[1]。科挙の学術試験は礼部侍郎が司掌するが、その合格者は更に吏部で身言書判が試験(吏部試)されて官吏に登用される定めであった。
宋代には代官を充てていたが、元豊年間(基督教暦11世紀後葉)の改革で復旧し、明、清代を通じて存在した。清宣統3年(同1911年)の内閣官制実施で廃止された。
脚注
- ^ 『旧唐書』職官志2、『新唐書』百官志1。
関連項目
礼部
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「彩雲国物語の登場人物」の記事における「礼部」の解説
蔡尚書(さいしょうしょ) 声:藤本譲 秀麗らが進士として研修した際の尚書。初老で恰幅がよく、表向きはいつも笑顔の優しそうな人物。女性官吏反対派だった。秀麗が国試において不正を働いて及第したという噂を流し、その後見人であった黎深を紅家当主だとは知らずに拘束してしまう。 一度は「捨て子」と馬鹿にした絳攸に、官位が上がると娘を娶らせようとして縁談を持ってくる、面の皮が厚い小物。茶一族に当主の指輪の偽物を届けて出世しようとしていた。他にも悪事を色々と働いていた為に失脚。絳攸に関することで黎深を二度も怒らせたことにより、財産没収、家族、親族、友人からは絶縁、紅家からは全国指名手配と社会的に抹殺された。鬘着用。 魯尚書(ろしょうしょ) 声:家中宏 礼部の教導官。蔡尚書の失脚に伴い、これまでの功績を認められ礼部尚書に就任。灰色に近い色の目を持つ、初老の男性。いつも仏頂面。紅黎深には珍しく気に入られている。 礼部預かりとなった進士達を指導する。身分に関係なく、上位及第した優秀な者にのみ雑用ととてつもない仕事量を割り振る。実はその雑用は朝廷内の内情を良く知るため、大量の仕事は周りに舐められて潰されないようにするためで、彼なりの官吏への英才教育である。ついて来られなかったり賄賂を渡したりする者は見限り、仕事量を減らすため、「魯官吏は賄賂に甘い」という正反対の噂すらある。徹夜して頑張る進士たちのために、こっそり夜食を人数分持ってきて置いていく。 劉輝が紅姓官吏に名誉挽回の機会を与えようとした時は、教育者としての信念から同意を示した。景柚梨が旺季に異議を唱えた時にも賛同した。 角川文庫版にて、紅藍両家関係者は特に厳しく扱くと語られた。 和官吏(わかんり) 声:こぶしのぶゆき 礼部に所属する官吏で、白粉に眉墨と雅な顔立ち。賄賂で官位を手に入れたと専らの噂であり、地位に相応しい能力があるかは疑問符が付く。蔡尚書(当時)より金銭と出世を約束されて影月と秀麗に嫌がらせをする。のちに蔡尚書の不正に関する捜査が自身にも伸びるに至り、行ってきたことを自白した。
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