桶狭間の戦いと戦人塚
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「曹源寺 (豊明市)」の記事における「桶狭間の戦いと戦人塚」の解説
永禄3年(1560)5月19日史上に有名桶狭間の戦い、すなわち駿河城主今川治部大輔義元、尾張に侵攻中桶狭間にて織田信長の奇襲をうけ戦死、曹源寺二世快翁龍喜和尚は明窓宗印和尚に命じて村人とともに戦傷者を収容し介護、戦死者(約2,500人)を各所に葬り引導焼香した。各所の塚は近年まで存在していたが宅地開発で失われてしまった。戦人塚(最初は駿河塚と呼ばれていた)はそれらの塚の代表的な存在として造られ歴代の住職が衆僧を率いて供養を続けてきた。現在では主催者が前後区に引継がれ曹源寺住職を拝請して6月第一土曜日に戦人塚で法要が営まれている。曹源寺の位牌堂では今川義元公位牌『天澤院殿四品前禮部侍郎乃峯哲公大居士』松井宗信位牌『法号寂應白空庵主』その他“桶狭間の戦い”の戦死者を手厚く供養している。
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