桶狭間の戦いとその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 00:24 UTC 版)
永禄3年(1560年)5月19日、桶狭間の戦いで今川義元が討死を遂げると、景隆はこれに併せて岡崎城を捨城とした。このため敗走してきた元康(家康)は帰城することができた。 以降は駿府へ戻り、晩年は家臣の離反が相次いだ今川氏真の元で苦労したと思われるが不詳。永禄10年?(1567年?)没。 景隆の没年は不詳だが、子の良則は今川氏滅亡後は山県昌景に仕え、武田氏滅亡後は赤備えを引き継いだ井伊直政の家臣となった。
※この「桶狭間の戦いとその後」の解説は、「山田景隆」の解説の一部です。
「桶狭間の戦いとその後」を含む「山田景隆」の記事については、「山田景隆」の概要を参照ください。
- 桶狭間の戦いとその後のページへのリンク