神崎与五郎とは? わかりやすく解説

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かんざき‐よごろう〔‐ヨゴラウ〕【神崎与五郎】

読み方:かんざきよごろう

[1666〜1703]赤穂義士(あこうぎし)の一人美作(みまさか)の人。名は則休(のりやす)。下級武士ながら和歌俳句よくした


神崎与五郎

読み方かんざき よごろう

江戸前中期武士赤穂四十七士一人美作生。名は則休、号は耕牛舎・竹平神崎右衛門光則の子津山藩仕えたのち、赤穂藩浅野長矩仕え横目付となる。長矩の刀傷後、美作善兵衛変名し吉良家偵察にあたる。和歌俳句能くし、岡貞佐の門人宝井其角とも親しかった著書に『那波十景』『絶纓自解』がある。元禄16年(1703)歿、38才。

神崎則休

(神崎与五郎 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/28 02:15 UTC 版)

神崎 則休(かんざき のりやす、寛文6年(1666年) - 元禄16年2月4日1703年3月20日))は、江戸時代前期の武士赤穂浪士四十七士の一人。通称は与五郎(よごろう)。本姓源氏家紋は蛇の目。大高忠雄萱野重実と並んで浅野家中きっての俳人として知られた。赤穂浪士の中でも随一の酒豪で「燗酒よかろう」という渾名が伝わっている[1]


  1. ^ 清水・100頁
  2. ^ a b c d 清水・96頁
  3. ^ 『水野家御預記録』
  4. ^ 講談「矢作」
  5. ^ 講談「神崎与五郎の堪忍袋」
  6. ^ のちに置かれた石灯籠に「降る石や 瓦とび散る 水の家」の句が記されている。


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神崎与五郎(かんざき よごろう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 04:14 UTC 版)

用心棒日月抄の登場人物」の記事における「神崎与五郎(かんざき よごろう)」の解説

父である半右衛門が、細谷と共に津山藩森家仕えていた。津山藩つぶれて右衛門浪人となったが、与五郎赤穂藩仕官した美作善兵衛という偽名使い吉良家のすぐそばの相生町に、木綿物を扱う「米屋という名の商店開いている。

※この「神崎与五郎(かんざき よごろう)」の解説は、「用心棒日月抄の登場人物」の解説の一部です。
「神崎与五郎(かんざき よごろう)」を含む「用心棒日月抄の登場人物」の記事については、「用心棒日月抄の登場人物」の概要を参照ください。

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