神崎与五郎の生い立ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:50 UTC 版)
神崎与三衛門の息子・与太郎は愚か者で、与三衛門は実子の与太郎がいるのに養子を探すほどだった。 ある日、与太郎が釣りをしていると、自分は全然釣れないのに、近くで釣りをしていた太郎作という少年はずいぶん釣れていたのに腹を立て、二度とここで魚釣りをしないよう太郎作に言う。 太郎作は魚釣りで盲目の祖母を養ったので、与太郎に食い下がると、与太郎は抜刀して太郎作に斬りかかる。しかし与太郎は足を滑らせて自らの刀で自分を刺してしまい、そのまま死んでしまう。 太郎作は名主のもとに自首する。しかし与太郎が自業自得で死んだ事を知った与太郎の父・与三衛門は、太郎作を養子として養う事にする。こうして太郎作は神崎与五郎を名乗って神埼家を継ぐ事になった。 『赤穂精義参考内侍所』にこの話が載っている。ただし神崎与五郎当人の話ではなく、与五郎の息子の話ということになっている。 『赤穂義士伝一夕話』にも神崎与五郎の息子の話として載っている。
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