社会学的解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/05 07:52 UTC 版)
感情の社会的・文化的側面に注目する感情社会学では、まずある状況に対する初期的感情があり、それを「この場ではこう感じるべきである」という状況に照らして経験しなおす二次的感情が存在するとする。ホックシールドは、場にふさわしい感情の持ち方を「感情規則」、それに基づく感情の再経験を「感情管理」と呼んでこれを定式化した。 例えば葬式で泣く場面においては、泣いてよい優先順位が故人との関係によって規範的に決定されている。葬式で実際に泣くのは主としてごく近親者に限られており、近親者でない人間が泣いていればかえって訝しがられ、何らかの関係性が詮索されることになる。それは他者の死を悲しんで泣くという行為が、その人との濃密な経験の共有を必要とすることを意味する。しかし実際にはフィクションやノンフィクションにおいて、多くの人が涙を流している。ここでは泣くという行為を促す制度化された物語が、空間的時間的広がりをもって共有され消費されている。 日本の卒業式において泣くという経験は、同級生集団の解体に伴って、個々人の経験を集合的記憶に包括させ、1つの共同体のメンバーとしての地位を確認する制度的・儀式的行為である。こうした経験は明治30年代以降に進んだ、尋常小学校の卒業式の「劇場作品化」という日本の感情文化の形成に大きく関係している。すなわち学校教育が浸透していくなかで、式典に「感情的陶冶」の役割が求められるようになり、喜びや悲しみを共有する「感情の共同体」を作るための仕掛けとして卒業唱歌や卒業文集などが生み出されてきた。ここに至って、卒業式で流される・こらえられる涙は「感情の共同体」の象徴となったのである。 卒業式に限らず、結婚式や追悼式などあらゆる儀式は、程度の差はあれ特定の感情と強く規範的に結びついている。ここでは参加者は感情をもっていないとしても、その規範的感情に従うか、少なくとも侵害しないことを求められる。そこでは落涙を促すための物語展開の組み立てを通じて共同化された涙が演出され、個々人がある属性(「卒業生」や「花嫁」「遺族」など)へのアイデンティティを引き受けることを期待されているのである。
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