石膏模型の再発見とは? わかりやすく解説

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石膏模型の再発見

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/10 22:01 UTC 版)

明石原人」の記事における「石膏模型の再発見」の解説

唯一残った石膏模型忘れられ東大人類学教室陳列戸棚放置されていたが、1947年昭和22年11月6日東大理学部人類学教授長谷部言人写真発見したことをきっかけ模型再発見された。長谷部石膏模型計測壮年男性腰骨だが現代人比べて類人猿に近い特徴有する指摘しこの人骨はシナントロプスやピテカントロプスとほぼ同時期の原人のものである主張、Niponanthropus akashiensis (ニポナントロプス・アカシエンシス)」の通称与えた。さらに長谷部は、この人骨をパラステゴドンの化石と同じ地層から発見したという直良の証言から、この人骨はシナントロプスよりも古い人類のものであり、縄文時代以前人類日本列島存在した証左だと結論づけた。 しかし化石現物焼失しており、疑問を呈する研究者多かったことから、同年10月20日から長谷部調査団長とする西八木海岸発掘調査が行なわれた。しかし、長谷部の「オブサーバーとしてなら参加を許す。」の一言怒った直良が参加拒否したため、調査団化石発見地点から約80m西寄りの場所を調査してしまい、200万円当時)もの予算計上したにもかかわらず人骨石器はおろか植物化石以外の動物化石すらも発見できなかった。 34年後の1982年昭和57年)、コンピューターによる石膏模型解析東京大学遠藤萬里国立科学博物館馬場悠男によって行われるその結果人類進化史の各段階人骨比較して明石原人」は現代的であるとして、原人ではなく縄文時代以降新人であるという説を打ち出したまた、1985年昭和60年春に国立歴史民俗博物館春成秀爾が西八木海岸発掘調査行い人骨出土したとされる地層と同じ更新世中期の礫層から人工的加工痕の認められる木片発見。この木片広葉樹のハマグワと鑑定され、板状裂けない広葉樹であることから人工品の可能性考えられた。なおこの地層年代最終間氷期後半(約8万年前)~最終氷期前半(約6万年前)と考えられている。 1997年平成9年)には明石市教育委員会近隣藤江川添遺跡発掘調査行い中期旧石器時代のものとみられるメノウ製の握斧発見。しかし、直良が発見した人骨がどの段階のものであったのかは、今もって解明されていない

※この「石膏模型の再発見」の解説は、「明石原人」の解説の一部です。
「石膏模型の再発見」を含む「明石原人」の記事については、「明石原人」の概要を参照ください。

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