石川家歴代(石川家の系譜)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 08:25 UTC 版)
「石川理紀之助」の記事における「石川家歴代(石川家の系譜)」の解説
理紀之助は、明治20年43歳自作の【日拝板】に自らを12代と書き付けている。 川上富三は、『石川理紀之助翁研究拾遺-遺蹟地は語る』134頁で、初代-石川大学、2代-大学、3代-大学(1617年、元和3年没)、消失して不明、九右衛門(1691年、元禄4年11月没)、長十郎(1697年、元禄10年没)、九右衛門(1740年、元文5年没)とした。 筑波大学助教授の佐藤常雄は、『日本農書全集 第63巻』451頁に次のように記している。 石川理紀之助が1912年(明治45年)頃に作成した「石川家譜」によれば、石川家の祖は伊達藩の家臣であった石川大学仲光であり、1598年(慶長3年)頃に奥州松山(現 宮城県志田郡松山町)から羽後国秋田郡山田村に移住し、居村山田村と近隣村の開田と山林の育成を行ったとある。 初代-石川大学(没年不明)、2代-大学(1617年、天和3年2月5日没)、3代-九右衛門(1691年、元禄4年11月24日没)、4代-長十郎(1697年、元禄10年没)、5代-九右衛門(1740年、元文5年没)、6代-九右衛門(1748年、寛延元年没)、7代-長十郎(1775年、安永4年没)、8代-長十郎(1776年、安永5年没)、9代-右馬之助(1820年、文政3年3月24日没)、10代-源七(1833年、天保4年3月19日没)、11代-午五郎(1834年、天保5年没)、12代-長十郎(1889年、明治22年6月17日没)、13代-理紀之助(1915年、大正4年9月8日没)。 佐藤常雄は、理紀之助を13代と位置づけている。 先代の石川尚三が『石川理紀之助翁生誕150年記念誌』5頁に「曽祖父の生誕百五十年に想う-石川家十六代当主石川尚三」と題して、曽祖父理紀之助の決意と遺跡地のことを記している。従って、14代-老之助(1903年、明治36年没、理紀之助の次男)、15代-太朗(1956年、昭和31年没、老之助の長男)、16代-尚三(2003年、平成15年没、太朗の三男)、当代17代-紀行(理紀之助5代目、理紀之助の玄孫)となる。
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