真相の推測
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 15:59 UTC 版)
「ネパール王族殺害事件」の記事における「真相の推測」の解説
事件の真相については、「親インドの王弟ギャネンドラがアメリカやインドの後押しを受けて、親中のビレンドラ国王・ディペンドラ王太子らを抹殺した宮廷クーデター」との説がある。ただし、後にギャネンドラは中華人民共和国から92式装輪装甲車5輌や2万5千丁の自動小銃などの武器を購入した。 ネパールはマヘンドラ国王の治世から専制君主制で、また地方では封建的な制度が残っており、毛沢東派勢力(マオイスト)派の共産軍が農村部で王政の転覆と共産革命を目指して内戦(ネパール内戦)を起こしていた。そのような背景のなか、ビレンドラ国王がこれまでの専制君主制から立憲君主制の議会民主主義への緩やかな移行を宣言し、1990年には憲法改正が行なわれ、選挙選出による議会制度も導入されていた。ただし、国王の君主大権が非常に強く残っており、例えば大抵の政府機関には「陛下の~」という接頭辞がついており、また国軍は議会や内閣ではなく国王に直属していた。 事件の不自然さに加え、ギャネンドラの家族が全員無事だった事と、彼がビレンドラ国王の民主化に最後まで強硬に反対を唱え、民主化後は政争の激化などマイナス面を批判し続けていたことが、この陰謀説を有力めいたものにしている。また、2001年になって与党ネパール会議派は反政府ゲリラであるマオイストに対して国軍の投入を考えていたが、現実主義者であるビレンドラは内戦の激化を恐れ、野党ネパール統一共産党とともに慎重な姿勢を見せていた。だが、ギャネンドラは反政府勢力に対して強権的であり、この事件は彼の主導でわずか2週間で収拾が図られて会議派もそれを追認しているが、背景にはそのような要因もあったとされる。 ネパール共産党毛沢東派(マオイスト)の最高幹部バーブラーム・バッタライは有力紙『カンティプル』で、「新たな"王宮大虐殺事件"を認めるわけにはいかない」との題で論評を出し、この事件の真相に疑問を持つ国民の声を代弁した。王宮大虐殺事件とは、かつてラナ家のジャンガ・バハドゥル・ラナが王宮で主要な重臣を抹殺し、王をも凌ぐ権力を手に入れて一族による宰相位の世襲を実現化した事件であり、バッタライはこの事件と同様に今回の事件もギャネンドラが王権を奪取するために行ったクーデターであると示唆した。 カゲンドラ・サングラウラもまた『カンティプル』に「第二の王宮大虐殺事件―政府の秘密主義に国民は霧に迷った鳥」との題で論評を出し、政府に対して真相解明を求めている。また、サングラウラはこの事件に無傷で生き残ったギャネンドラの息子パラスへ疑いの目を向けている。 司法解剖が行われなかったと言う点もあわせ、様々な推測や噂が流れているため、真相の究明は困難である。
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