真相の究明へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 19:57 UTC 版)
日本社会党が要求した竹下登に対する証人喚問が1992年11月26日衆議院予算委員会にて行われた。この場で竹下は渡辺広康とホテルで会談したことは認めたが、民社党中野寛成から議員辞職について問われると「私という人間の持つ一つの体質が今論理構成されましたような悲劇を生んでおる、これは私自身顧みて、罪万死に値するというふうに思うわけでございます。ただ、議員辞職の問題は、私が重ねて申し上げますように、いわば日本国の首班決定には暴力団が介入したということを是認するという行為は、私はとることができないというふうに考えておるものでございます。」と述べた。 1993年2月17日、衆議院予算委員会は、小沢一郎を証人喚問したが、「私はお茶汲みをしていただけで、話の内容は知らない」と述べ、関与を否定。金丸の5億円献金も「全く知らない」と答えた。竹下登・小沢一郎の証人喚問は、いずれも不発だった。自民党は、社会党の筒井信隆・吉田和子、安恒良一(比例代表)ら11名の野党議員を証人喚問を要求して対抗した。だが、泥仕合を続けただけで終わった。 1993年3月、安恒良一は離党と国会議員の辞職勧告を拒否し続けたため、社会党規律委員会により日本社会党を除名処分となった。1993年4月、安恒良一の1億円以上の所得隠しが発覚。東京佐川急便からのヤミ献金と疑われたが、真実は不明のままとなった。
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