真犯人として指摘されている人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 09:21 UTC 版)
「帝銀事件」の記事における「真犯人として指摘されている人物」の解説
平沢冤罪説では、さまざまな真犯人像が語られてきた。ただし「平沢貞通氏を救う会」の平沢武彦(平沢貞通の養子)は「真犯人説を追いかけるのは、もう一つの冤罪を生む」と戒めた。以下、今まで語られてきた真犯人説の一部を掲げる。 やはり平沢貞通が犯人だが、実情は判決とは違うという説。「複数犯人説」(平沢は従犯ににすぎず主犯は別にいる)や「平沢部分関与説」(稚拙な未遂事件は平沢のしわざだが帝銀事件はプロの別人の犯行だった)、「犯行忘却説」(平沢はコルサコフ症候群のため犯行の記憶を消失し自分も本気で冤罪と信じた)なども含む。 千葉県居住で1954年(昭和29年)に死去した医師H説。平沢貞通と弁護団が主張。読売新聞の竹内理一記者の回想によると、弁護団長の磯部常治は真犯人はHだと確信しており、竹内の妻(帝銀事件の生存者の1人)が「平沢のほうが、この人よりずっと犯人に似ている」と答えても、磯部は「間違いなくこれが犯人ですよ」と何度も食い下がったという(竹内1957 , p.25)。 陸軍中野学校出身の特務機関員説。平沢逮捕後もしばらくのあいだ捜査本部の主流はこの線だった。 平沢の獄死直後の5月25日、捜査本部の刑事に協力した伴繁雄がテレビに出演し、真犯人は平沢でなく、元陸軍関係者と強調していた。 731部隊の軍医・S中佐説。捜査に携わっていた成智英雄(当時、捜査二課の通称「秘密捜査班」特命捜査主任)は後年に発表した手記で「帝銀事件は平沢のように毒物に関する知識を何も持たない人物には不可能で、真犯人は元秘密部隊にいた人物」「731部隊の内50数人を調べた結果、経歴・アリバイ・人相が合致するのは医学博士のS軍医中佐(事件時51歳、事件翌年に病死)しかいない」という趣旨のことを書いている。ただし、この説には問題が多い。 東京都内在住のある歯科医が真犯人とする説。上掲の複数の説と重なる部分がある。 捜査が731部隊に及んだころ謎の自殺を遂げたN。捜査本部の係長の記録(いわゆる「甲斐メモ」)にも記されている人物。作家の近藤昭二が、テレビ番組「毒の伝説・帝銀事件46年目の真実」(朝日放送『驚きももの木20世紀』1994年11月25日放送)の中で紹介。 事件から6年後の1954年(昭和29年)、茨城県内で青酸を使用した大量殺人事件が発生した。この手口が保健所を名乗り毒物を飲ませるという帝銀事件と酷似したものだったことから弁護人が調査の為に現地入りしたが、逮捕された容疑者が服毒自殺してしまったため調査も進展しなかった。
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