発見・引き揚げ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 10:11 UTC 版)
1975年7月、新安郡の智島にある道徳島の約2キロ沖で発見された。漁業者が6個の陶磁器を引き揚げて新安郡に報告し、1976年1月には韓国文化財管理局に情報が届いたが、当初は偽物の陶磁器だと考えられた。陶磁器をゆずられた者が古美術商に持ち込んだことがきっかけで関係者が注目し、1976年10月から文化財管理局が調査を開始した。 沈没船は東経126度5分6秒、北緯35度1分15秒で深さは約20メートルに位置していた。10月15日に新安郡の船舶で現場を調査し、10月16日に発掘照査を行った。文化財管理局は国防部に協力を求め、調査が行われた。予備調査の段階で約2000点の遺物が引き揚げられたために当局は重要性を認識し、韓国海軍も参加して潜水作業はフロッグマンによって行われた。同年10月と1977年5月から7月の3回に分けて、文化財管理局と海軍に加えて考古学者や歴史学者、アメリカから招聘した水中考古学の専門家などによる調査が行われた。 現場は多島海で潮流が激しく、通常は5ノットに達し、緩やかな時で2.5ノットあった。半島の西海岸が黄海に面しているためか、海中の視界は悪かった。潮流から作業者を守り、遺物の発見場所を区別するために1辺2メートルの正方形の鉄製の枠を沈めた。1977年時点で引き揚げられた遺物は陶磁器6000点、金属製品や木造製品400点、銅銭10万枚に達し、1977年10月には、国立中央博物館で新安海底文物展が開催された。忠南大学校やソウル大学校工科大学などの研究者の分析により、積荷は中国のものが中心であり、船体の構造からも中国系統の船であることが明らかになった。1977年に少数ながら高麗青磁が発見され、1978年の調査では日本の品物や、中国人の特徴を持っている頭骨も発見された。調査は1984年まで11次にわたって進められ、荷札の木簡なども発見されて特定が進んだ。
※この「発見・引き揚げ」の解説は、「新安沈船」の解説の一部です。
「発見・引き揚げ」を含む「新安沈船」の記事については、「新安沈船」の概要を参照ください。
- 発見・引き揚げのページへのリンク