発売後 - 「最大級の失敗」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/04 23:41 UTC 版)
「IBM PCjr」の記事における「発売後 - 「最大級の失敗」」の解説
PCjr発表後に悲観的な意見は少数派であったが、1984年初めに一般出荷が開始されると売上は予想を下回った。店舗は即座に割引を開始し、IBMは「(需要は)可変であり期待通りには増加していない」と認め、6月には370ドルの異常な早期割引が開始されたが、それでも1,400のディーラーの多くは初期割り当ての25台販売を達成できなかった。タイム誌は「在庫が積み上がり始めている」と書き、InfoWorld誌は「専門家が指摘できなかった失敗」と述べ、12月にタイム誌は「(PCjrは)1950年代後半のエドセル販売不振と同様に、コンピュータの歴史で最大級の失敗と思える」と記した。 特に不評となったのは、チクレットキーボード、価格、IBM PCとの完全な互換性は無いことであった。 タイム紙は「指にゴム製のムカデの感触」で「長時間の真剣なタイピングには適さない」、「ほとんど使い物にならない」と記した。一部の出版や専門家は、このキーボードは、IBM PCの販売への影響を避けるためにPCjrの能力を低下させた、IBMによる差別化戦略の証拠であると論じた。 価格もキーボードと同様に大きな不利益だった。ウォール・ストリート・ジャーナル紙は「ホームコンピュータとしては高価だが、低価格コンピューターより強力でもない」とのユーザーの声をレポートした。IBMはターゲットの市場が家庭、学校、自宅で働く会社員なのか明言せず、ソフトウェア開発者は混乱した。IBMはPCJrを 800~1,600 ドルに設定したが、その価格帯はC64等の低価格なコンピュータよりも需要が低かった。ノートンは「市場のグレーエリアを狙ったが、それは存在しなかった」と述べた。Apple IIにおけるVisiCalcのようなキラーアプリケーションが無ければ、家庭用に2,000ドル以上の支出への説得力は難しい。IBMは消費者市場に精通していなかったが、専門家指摘の「あの3文字」(IBM)を付けた製品に顧客が支出する事を期待した。PCjrの最大の競合製品はApple IIeで、Appleは1983年12月、PCjr発売を待つ顧客の一部にほぼ110,000台を販売した。 互換性も大きな問題となった。1984年迄には、IBM PCとの互換性(英語: PC compatibility)は、Apple以外のコンピュータの成功には必須条件となり、コンピュータに関する最初の質問は「これはPC互換か?」(英語: Is it PC compatible?)であった。特に重要なユーザーである会社員は表計算ソフトのLotus 1-2-3などを自宅で使用し、多くの顧客はPCjrはPCの大半のソフトウェアを稼働できると信じて店舗を訪れた。IBMは大多数は新しいソフトウェアを使用すると期待したが、ユーザーの75%は親しんだビジネス用ソフトウェアをPCjrで稼働させる事を望んだ。ノートンは、PCjrはその価格に応じて、PC互換性は約85%と集計した。IBMは技術文書で「PCjrはIBM PCとは異なるコンピュータだが、高水準のプログラミング互換性を持つ」と述べ、ソフトウェア開発者に「アプリケーションがBIOSとDOSの割り込みインターフェースを守っていれば、全てのハードウェアの相違は吸収される」と約束した。ノートンの専門家は「64KBメモリとディスクドライブ1台用の設計ガイドラインに従ったプログラムは、PCjrで華麗に稼働する。PCjrは大多数のPC用プログラムを快適に稼働できる」としたが、一方で「(開発者は)PCjrの基本的な制限を理解すべき」と述べ、1つのディスクドライブのみのサポートや、コピーガードは問題を発生させると述べた。多くの普及したIBM PCプログラムは、128KBを超えるメモリや2つ以上のディスクドライブを必要とした。実際には、WordStarや、PC互換性確認に通常使用される2つのプログラムであるLotus 1-2-3およびMicrosoft Flight Simulatorを含む、約60%のプログラムがPCjrでは非互換と証明されたほか、IBM自身の DisplayWrite もPCjr専用バージョンが必要であった。Lotus 1-2-3のPCjrバージョンはPCjr発表の翌年にリリースされた。
※この「発売後 - 「最大級の失敗」」の解説は、「IBM PCjr」の解説の一部です。
「発売後 - 「最大級の失敗」」を含む「IBM PCjr」の記事については、「IBM PCjr」の概要を参照ください。
- 発売後 - 「最大級の失敗」のページへのリンク