由来と作曲者とは? わかりやすく解説

由来と作曲者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/02 08:56 UTC 版)

交響曲K.76」の記事における「由来と作曲者」の解説

オットー・ヤーンモーツァルト伝記の中で、ブライトコプフ社の文書保管庫からモーツァルト作品である20曲の交響曲発見されたことに言及している。ルートヴィヒ・フォン・ケッヘルもこの見方賛同しており、K.76をモーツァルト真作であると考えていた。ヤーン論評ヨハン・アンドレによる『モーツァルティアーナ・コレクション』に基づいていた。そこには前述20曲のうち10曲が含まれており、それらがモーツァルト未亡人コンスタンツェから直接送付されたものであることから真作であろうことが示唆された。さらにうち2曲がオペラルーチョ・シッラ』 K.135と『シピオーネの夢』 K.126への序曲管弦楽版であったため、他の作品真作である可能性が高いことが見込まれた。ヤーンはK.76を「177?年」の作とし、一方ケッヘルは「おそらく1769年」の作とした。 テオドール・ド・ウィゼバとジョルジュ・ド・サン=フォワはこの交響曲作曲時期1766年12月1日から1767年3月1日までとした。彼らは本作を『第一戒律の責務』 K.35への序曲や他のモーツァルト初期交響曲比較し、K.76が書かれたのは序曲よりも前、おそらく1766年12月だろうと結論付けた。彼らの考えでは本作は「モーツァルトが大旅行学んだことを証明するため、教師同胞人から手厚く世話を受けながら書かれ」ている。しかし、ニール・ザスローはその解釈を「純然たる空想」であると考えている。 ヘルマン・アーベルトはウィゼバとサンフォワ記した類似性疑念抱いていた。なぜならK.35への序曲は主要主題を基に展開されていたにもかかわらず、K.76では交響曲の主要主題から逸れて展開が行われるからである。終楽章ジャン=フィリップ・ラモー主題引用されることは最初の大旅行時期示しているが、(後に)メヌエット付け足されたことは南ドイツ作曲であったことを物語っている。 アルフレート・アインシュタイン未熟な他の3つの楽章比べてメヌエット遥かに高い成熟度を示しているため、後年になって作曲されたものだろうと述べている。ウィーン風の交響曲はほぼどんな場合4つの楽章持っており、モーツァルト他の地域用に作曲した3楽章の交響曲に後からメヌエットトリオ追加して適応させるということしばしばしていたと思われる。従って、アインシュタインメヌエットトリオウィーンへの旅行に際して作曲されたと結論下したケッヘル目録の第16版には時期について「1767年秋、ウィーンでの作曲とされると書かれている。 ゲルハルト・アルロッゲンとクリフ・エイセンは、その様式的な特徴からこの交響曲本当作曲者レオポルト・モーツァルトではないか考えている。 ザスローはこの交響曲を「魅力的」、アンダンテは「刺激的」であるとし、メヌエットの「美しさ」を強調しているが、一方でスタンリー・セイディ2006年)は全体的な弱々しさ」、第2楽章ピッツィカートパッセージを「扱いづらさ」、メヌエット和声の「ぎこちなさ」について語っている。

※この「由来と作曲者」の解説は、「交響曲K.76」の解説の一部です。
「由来と作曲者」を含む「交響曲K.76」の記事については、「交響曲K.76」の概要を参照ください。

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