生誕 - 子役・モデル時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 15:49 UTC 版)
「麻丘めぐみ」の記事における「生誕 - 子役・モデル時代」の解説
大分県速見郡日出町で生まれ、生後半年から大阪で育った。父方の先祖は日出藩の家老で、麻丘は生後半年まで祖父母とともに日出城に住んでいた。「私の実家は、日出城の二の丸です」と麻丘はインタビューで語っている。子供の頃から活発だった4歳上の姉に付き添う形で劇団に入り、1歳8か月でCMに出演、3歳で子役として芸能界デビューする。初舞台は梅田コマ劇場で、花菱アチャコや森光子らとの共演だった。 小学5年の時に母に連れられ上京。その3か月前に遠藤実の内弟子として単身上京していた姉の生活を支えるためだった。杉並区久我山に母娘3人で暮らすが家計は苦しく、日々の献立はジャガイモばかりだったという。 中学時代には、当時創刊間もない少女雑誌『週刊セブンティーン』等でモデルとして活動。当時の芸名は本名の藤井佳代子(途中から本名・芸名共に田島佳代子に改名)。 モデル業の合間に、歌手となった姉の仕事現場に雑用係として度々顔を出していたところ、その場にいたレコード会社のスタッフから幾度となく歌手デビューを持ちかけられる。しかし、頑張りつつもヒットに恵まれない姉の姿を間近に見ていたことから「お姉ちゃんでも苦労しているのだから自分に歌手は無理」と、しばらくは誘いを断り続けていた。最終的に説得を受け入れた理由は、このままヒットが出ないと姉がレコード会社から契約を切られるのではないかと危惧し、そうならないためには自分が会社の言うことを聞けばいいのではないかと考えた上でのことだった。姉をサポートしたいがための、本意ではない決断であった。 芸名は、所属レコード会社のビクターが「丘めぐみ」という名を用意したが、本人は「何か一つ足りない」と思い、国語辞典を開いて「あ」の頁に「朝」「浅」「麻」のそれぞれの文字を見てピンと来たという。朝だと朝丘雪路、浅だと浅丘ルリ子と名字が同じになるので、麻の字を足して自らの芸名とした。
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