生誕と東ローマ帝国への出奔と帰還
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「ユスタ・グラタ・ホノリア」の記事における「生誕と東ローマ帝国への出奔と帰還」の解説
417年もしくは418年頃、コンスタンティウス3世・ガッラ・プラキディア夫妻の長女として生まれた(ガッラ・プラキディアにとっては夭折したテオドシウスが第1子にあたるため、ホノリアは第2子となる。コンスタンティウス3世にとっては第1子)。421年に父が没すると母は異母兄・ホノリウスに求婚され、それを拒絶する為に決別、弟・ウァレンティニアヌスと共に東ローマ帝国コンスタンティノポリスの皇宮に出奔、甥のテオドシウス2世(ホノリアにとっては従兄)の元に身を寄せた。423年にホノリウスが没すると424年10月23日にテオドシウス2世はコンスタンティノポリスでホノリアの弟のウァレンティニアヌスを副帝(カエサル)に指名、そしてイタリアでの戦乱ののち、425年10月23日に西方正帝に任命した。ウァレンティニアヌス3世である。
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