生誕と即位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 16:08 UTC 版)
英祖の次男荘献世子(思悼世子)と恵慶宮洪氏の間の次男として生まれ、1759年、8歳で王世孫に冊立される。1762年辛壬士禍(辛壬の獄)を批判した父荘献世子が老論派の陰謀で悲劇的に死んだ後、英祖の長男孝章世子の養子となる。その理由は老論派の諸臣が 「罪人の息子は王になれない」と主張したからである。1775年より代理聴政をはじめ、翌年英祖が薨去した後、25歳で即位した。正祖は即位式に集まった人々に「余は思悼世子の息子である」と宣言した。
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