生誕から都知事就任まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 01:50 UTC 版)
「安井誠一郎」の記事における「生誕から都知事就任まで」の解説
岡山県御津郡伊島村生まれ。岡山県立岡山中学校、東京帝国大学独法科を卒業。その後、内務省に入省し、東京市社会局長として震災復興にあたる。この他、茨城県・神奈川県で警視を務めた。1928年に一旦退官し、茨城県から衆議院議員に立候補するも落選。その後内務省に復帰し、富山県・兵庫県・福岡県の警察部長を経て、東京市保健局長兼社会局長に就任する。1931年には同郷で朝鮮総督の宇垣一成に請われて秘書官となり、朝鮮総督府専売局長を務めた後、1936年、京畿道知事に就任した。更に、拓務省拓務局長なども務め、植民地経営のポストを多く歴任した。 帰国後、1940年から新潟県知事、退任後東京市電気局長を務め、1946年に幣原内閣で厚生次官となる。しかし、同内閣総辞職により5月に退任。同年7月には官選では最後となる東京都長官に就任、歴任した。
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