生誕から絵画学校まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/22 20:28 UTC 版)
1884年(明治17年)2月20日、広島県広島市に9人兄弟の7人目として生誕した。父の辻永光は警察官であり、8か月後に永光が茨城県の兵事課に勤務地変更したことに伴い家族で茨城へ移り住んだ。父の任地変更はその後土浦市を経て水戸市へと及んだ。 1888年(明治21年)4月に小学校へ入学したが怪我により通学後わずか2日で退学、翌1889年(明治22年)4月に再入学し、6年後の1896年(明治29年)に茨城県立水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)へ進学した。このとき、父が岡田郡長に就任したため永は家を出て下宿通学を経験した。 水戸中学校在学中の1898年(明治31年)頃から草花の写生を始めており、後に植物学者かまたは画家を志すことを希望している。また1900年(明治33年)より白馬会会員であり図画教師であった丹羽林平の自宅へ同居し油絵の指導を受け始めた。
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