現在の長寿庵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 07:58 UTC 版)
元禄時代に京橋五郎兵衛町に「三河屋惣七」が創業以来、栗田作次郎、村奈嘉与吉を中心に順次のれんわけが行われ「采女会」「四之橋会」「十日会」「実成会」の4会派が生まれ、一時は関東一円に340店舗を数えるほどであった。昭和25年に「長睦会」から「長寿会」と改名し、平成14年に法人組織化し「長寿庵協同組合」となり「長寿庵」の屋号は現在登録商標となっている。「長寿庵」という屋号は登録商標として管理されているが、同じ「長寿庵」という暖簾を掲げながらチェーン店などではなく、それぞれが独立し、規模も、商売のやり方、営業形態、メニューも統一せず営業している。「それぞれの地域にあった形、地域密着の蕎麦屋を目指す」というコンセプトである。 とはいえ誰もが長寿庵の暖簾を掲げられるわけではなく、どの会派とも長寿庵で修業しそこの店主から認められなければのれん分けは許されない。製麺や出汁の引き方、食材の見極めなど店を維持してゆくための基本技術をひと通り習得しなおかつ土地柄にあった味を出すためのいわば応用技術をも習得する必要がある。それにより、そこの土地にあった味が作られ地域に根差した店舗が開けるという。 特色のある長寿庵の例を挙げると、昭和10年創業の中央区銀座1丁目の銀座長寿庵では昭和38年に創意工夫の末「鴨せいろ」を考案し「元祖かもせいろ」を称する。地元に根ざした例としては、昭和43年創業の江戸川区西一之江三丁目の江戸川長寿庵は、土地柄から特産品である小松菜の麺を各種取り扱っており、小松菜そばや小松菜素麺、中でも生麺の元祖小松菜うどんは地産地消や変わり麺として各種メディアでも取り上げられている[要出典]。
※この「現在の長寿庵」の解説は、「長寿庵」の解説の一部です。
「現在の長寿庵」を含む「長寿庵」の記事については、「長寿庵」の概要を参照ください。
- 現在の長寿庵のページへのリンク