采女会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 07:58 UTC 版)
明治10年に倉橋総本店から最初にのれんわけされた栗田作次郎は采女町(現銀座5丁目)に出店したが、昭和20年の東京大空襲で店を焼失した。その後目黒駅の近く(大崎2丁目)に再開し廃業を決めた倉橋家より総本店の座を託され、現在は旗の台に移転している。 栗田長寿庵からは「十日会」の吉田作次郎が明治30年に、「実成会」の五十嵐友五郎が明治42年にそれぞれのれんわけされている。そのほかにのれんわけを許された子分け、孫分けの店が現在の采女会の会員となっている。
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