采女司長官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/28 20:53 UTC 版)
嵯峨天皇の御代には 平安京采女司 の長官となる采女正(うぬめのかみ)として大内裏で皇族に仕えながら、同じく采女の育成にも尽力(貢献)した。 采女 については、日本書紀 の雄略紀に「采女の面貌端麗、形容温雅」と表現され、百寮訓要集 には「采女は国々よりしかるべき美女を撰びて、天子に参らする女房なり。」と詠われており、容姿端麗で美しく高い教養力を持つ采女は男女の憧れの対象となっていたとされる。 古今集 などにも「歌よみなどやさしきことども多し」、和漢官職秘抄には「ある記にいはく、あるいは美人の名を得、あるいは詩歌の誉れあり、琴瑟にたへたる女侍らば、その国々の受領奏聞して、とり参らすこともあり」との記述がある。
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