狂った計画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 16:59 UTC 版)
ホランドの計画はフッドとプリンス・オブ・ウェールズをビスマルクと戦わせ、サフォークとノーフォークがプリンツ・オイゲンと戦うというものだった(これはプリンツ・オイゲンがビスマルクの後方を航行し続けるであろうというホランドの仮定に基づいていた)。ホランドはこれをプリンス・オブ・ウェールズのジョン・リーチ艦長に信号で知らせたが、自分の位置を明らかにすることを恐れて無線封止を解かず、ウェイク=ウォーカーへの無線連絡は行わなかった。ホランドは0200(イギリス標準時02時00分。以下同様)での会敵を望んでいた。この緯度での日没は0151、そうすればビスマルクとプリンツ・オイゲンは夕日の残光を背景にシルエットとなり、フッドとプリンス・オブ・ウェールズは夕闇に紛れて、ビスマルクの砲弾の急角度の落下がフッドを脅かさない距離まですばやく接近できるはずだった。ドイツ艦隊はこの時間帯での攻撃を予期していないはずで、イギリス艦隊は奇襲の効果を期待していた。 この計画が成功するかどうかは、サフォークらがドイツ艦隊との触接を絶やさないことに掛かっていた。しかしサフォークは0028に触接を失った。それから1時間半の間、ホランドは敵影を発見することもノーフォークまたはサフォークからいかなる情報を得ることもできなかった。やむを得ず、ホランドはフッドとプリンス・オブ・ウェールズに南南西への転針を命じ、また駆逐艦部隊に北方を捜索させた。 触接が失われている間に、2つの戦隊は間一髪の差ですれ違っていた。ドイツ戦隊は0141にはグリーンランドの結氷ラインに沿う西向きのコースを変えずに進んでいた。イギリス戦隊はそれよりかなり早い時刻にそのコースを取っていた。ドイツ戦隊がこのコースを変更したとき、イギリスの駆逐艦部隊はその南東10マイル(16 km)の地点にいた。視界が3ないし5マイルと低くなかったら、ドイツ戦隊は捕捉されていただろう。 0300直前になってサフォークはビスマルクとの触接を回復した。フッドとプリンス・オブ・ウェールズは35マイル離れていてドイツ戦隊よりわずかに先行していた。ホランドは、28ノットに増速してドイツ戦隊に向かうように信号した。サフォークの触接の喪失はイギリス艦隊にとって不利に働いていた。イギリス艦隊はホランドが企図した正面を横切る形での急速な接近でなく、浅い角度をとってゆっくりと接近していかなければならなかった。これはフッドがビスマルクの急角度の砲弾に、その弱点を長時間さらすことを意味していた。0320、ドイツ戦隊が真西に転針したとサフォークが報告したとき、状況はさらに悪化した。いまや両戦隊はほとんど並走していた。 0535、プリンス・オブ・ウェールズの見張員が17マイル(28 km)の距離にドイツ艦を視認した。ドイツ艦隊はすでに音響探信によってイギリス艦への警戒態勢に入っており、その10分後にイギリス艦の排煙とマストを視界に捉えた。ホランドにはこの点で、サフォークと合流してビスマルクを追尾し、トーヴィーのキング・ジョージ5世他の攻撃部隊を待つか、または自らの戦隊に攻撃を命じるかの選択肢があった。彼は0537に決断を下した。荒れた海峡の海では駆逐艦はほとんど役に立たず、またノーフォークとサフォークの巡洋艦部隊はドイツ部隊との戦闘に参加するにはあまりにも遠く遅れていたからである。
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