牛ヶ首用水における発電所建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:25 UTC 版)
「高岡電灯」の記事における「牛ヶ首用水における発電所建設」の解説
神通川電気の合併により取得した3つの水力発電所は、いずれも神通川より取水する牛ヶ首用水にあった。合併後も高岡電灯によって水力発電所3か所が増設されており、牛ヶ首用水の発電所は計6か所となった。 この牛ヶ首用水は、神通川本流から取水し、山田川・井田川を横断して富山平野のうち井田川左岸から神通川左岸にかけての地域に灌漑する、江戸時代からある用水路である。水量・落差ともに豊富で水力発電の適地であることから発電所建設計画が立てられ、地元としても灌漑に使わない神通川本流取水地点から井田川までの8キロメートルについて管理権を電力会社に委譲し使用料を徴収できる、ということで1919年12月に会社側と用水組合との間で合意が成立。1922年1月5日に成子発電所(出力1,000キロワット)と五平定発電所(同1,200キロワット)、同年12月20日には四津屋発電所(出力1,100キロワット)がそれぞれ運転を開始した。なお神通川電気の資本金は200万円で、筆頭株主でもある建設業経営の佐藤助九郎が社長を務めた。 神通川電気の供給区域は用水沿いの婦負郡宮川村・熊野村(現・富山市)に限られ、電灯・電力供給は小規模であったから、余剰電力は当初立山水力電気へと売却された。その後1924年1月より、工事資金の融通を受けていた関係から日本電力への電力供給が始まり、神通川電気が高岡電灯に合併された後の1929年1月まで供給が継続された(供給電力は3,250キロワット、うち1,500キロワットを1925年6月より高岡電灯で買い戻し)。この間の1928年12月、五平定発電所から高岡市内の大野変電所まで、自社送電線が完成している。 1930年代になると発電所新設が再開され、まず1934年(昭和9年)1月20日に成子第二発電所(出力1,760キロワット)が建設された。この発電所建設に連動して、神通川の流れの変化で取水できなくなっていた神通川と井田川に挟まれた地域に灌漑する7本の用水路の合口事業が富山県により行われ、発電所放水路より取水する合口幹線が整備されている。次いで翌1935年(昭和10年)4月1日、県による用水改良工事で生じた最下流の水力地点に下井沢発電所(650キロワット)を新設。1937年1月15日には最上流部にて薄島発電所(4,010キロワット)が運転を開始した。
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