牛ヶ鼻砦前哨戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 09:13 UTC 版)
天正10年7月3日(1582年8月1日)、森長可は3,000余人の兵を率いて、馬串山(馬串山砦)から加治田城の支城である牛ヶ鼻砦(毛利山城)より飛騨川対岸にある小山に着陣し、飛騨川を渡って牛ヶ鼻砦に攻撃をしかけた。斎藤軍は西村治郎兵衛、湯浅新六らの物頭に軍兵500余りがついて守備しており、森軍の武将各務元正らと激戦を繰り広げるも勝敗はつかず、森軍は51余人討取られ金山へ兵を引いた。斎藤軍は40余人の戦死者を出して加治田城に撤退した。森軍は牛ヶ鼻砦の敗軍を思い、刺違えて加治田を攻め落とさんと、未明に馬串砦を発向し、加治田に向け軍を進め、その夜は堂洞合戦で廃城になった堂洞城址に登り、夕田に宿陣して軍議を練った。
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