源頼義・義家の伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 05:52 UTC 版)
「馬場大門のケヤキ並木」の記事における「源頼義・義家の伝承」の解説
並木の起源としてよく話にのぼる説は、源頼義・義家父子が苗木を寄進した伝承である。前九年の役のため、源頼義・義家父子が東方遠征に向かう途中、六所宮に立ち寄り戦勝祈願を行った。東方を平定した彼らは凱旋時に再び六所宮に立ち寄り、六所宮の加護に対する礼として苗木を1000本寄進したという。この伝承は六所宮の社伝や縁起を通じて広まったとみられ、江戸時代後期に出版された数多くの地誌に紹介されている。この伝承が記載された史料のうち刊行年代がはっきりした史料は1760年(享保21年)に出された田沢義章著の『武蔵野地名考』に記される以下の一節である。参考文献より引用する。 みちのくみちの方へ、左右に槻の古木あり、大なるはめぐり二丈あまり、此馬場むかし義家朝臣奥州征伐のときに開かれしよし 六所宮が初めて登場する現存の史料は鎌倉幕府の正史『吾妻鑑』である。六所宮自身も何らかの記録を持っていたと考えられるが、六所宮は何度かの火災で古い記録が焼失し、現代までに伝わるのは江戸時代以降の社伝・縁起が大半である。現代までに伝わる縁起のうち六所宮の神主であった猿渡盛章が1828年(文政11年)に記した『新撰総社伝記考證』の中で、盛章は並木の起源が源頼義・義家父子にあるという伝説に対し「久しく伝わっているが、証拠を他の書で見たことはない」との見解を示している。六所宮の史料に源頼義・義家父子が並木の起源である根拠を求めるのは難しいようである。 源頼義・義家父子が戦勝祈願に対する礼を施した伝承は関東地方・東北地方に20件以上残っている。しかし、植物を寄進した伝承は少なく、1000本も植物を寄進した伝承は破格である。これら伝承の特徴から、もともと存在した並木に源頼義・義家父子の伝承が重なったのではないかという見方がある。源義家にまつわる伝承の多くは、江戸時代の後半に成立したといわれる。しかし、六所宮と源義家に関しては苗木の寄進の伝承のほか、南北朝時代の終わりごろに成立した『源威集』に、源義家が奥州合戦の間の擁護のため南向きの六所宮社殿を北向きに改めさせたとの伝承が残っている。よって、並木に源頼義・義家父子を結びつけるのは難しいとしても、彼らが六所宮に何らかのかかわりを持っていた可能性は十分にある。
※この「源頼義・義家の伝承」の解説は、「馬場大門のケヤキ並木」の解説の一部です。
「源頼義・義家の伝承」を含む「馬場大門のケヤキ並木」の記事については、「馬場大門のケヤキ並木」の概要を参照ください。
- 源頼義・義家の伝承のページへのリンク