源頼朝の巻狩伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 05:51 UTC 版)
古来より三原(西吾妻一帯をさす言葉として使われていた。)に源頼朝が巻狩に来たという伝説がある。西吾妻の地名や温泉の由来に源頼朝が関わっているとされるものも多い。長野原町内にある川原湯温泉も源頼朝の巻狩の際、発見されたと伝えられている。 史料として信用度の高い『吾妻鏡』には、下野国那須、信濃国三原(当時西吾妻地方は上野国ではなかった)の巻狩へ源頼朝が出発したとの記述がある。しかし、その記述を追っていくと、結果として三原には行かなかったということがわかる。 一方で、『曽我物語』では、この三原の巻狩についての記述があるが、史料的価値から見ると信用することができない。江戸時代元禄期の『再編吾妻記』にも三原の巻狩の記述がある。しかし、これは伝説と『曽我物語』を元に書かれたものでまったく信用することができない。 源頼朝の三原の巻狩は伝説に過ぎないとも言えるが、このような伝説が古くからあったという事実はある。長野原町には、三原で源頼朝が落馬して、死亡し、長野原町のどこかに埋葬されたというような伝説もある。『吾妻鏡』の三原の巻狩の記述の欠如を説明する為に作られた後付けの話か、それとも、原伝説の一部なのかは全くわからない。
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