満洲国陸軍軍官学校
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満洲国陸軍軍官学校(まんしゅうこくりくぐんぐんかんがっこう、滿洲國陸軍軍官學校)は、満洲国新京特別市浄月区同徳台(現・中華人民共和国吉林省長春市洋浦大街)に存在した、満洲国陸軍の軍官学校(士官学校)である。
注釈
- ^ 「満系生徒」でも成績優秀者は内地の陸軍士官学校へ留学できたため、「同じ教育・訓練を受けた唯一の士官学校」ではない。
出典
- ^ 命名の由来、同台経済懇話会
- ^ 『満洲国軍』、617頁
- ^ 同徳台第七期生会編 『同徳台陸軍軍官学校第七期生史』 同徳台第七期生会、1990年6月。
- ^ 林懐秋・石上正夫編『中国少年の見た日本軍―日本語で綴る10人の証言―』 青木書店、1985年、53頁。
- ^ 中華民国も同様。
- ^ 『満洲国軍』、635頁
- ^ 木村 2008, p. 25.
- ^ “偽満軍校の「特別な」教師と生徒:浦傑と朴正煕(伪满军校里的“特殊”师生:溥杰与朴正熙)” (中国語). 360doc个人图书馆. (2012年1月11日). オリジナルの2018年2月19日時点におけるアーカイブ。 2018年2月19日閲覧。
- ^ a b c d “「目標のために死辞さないほど誠実」優等の成績で4年後に「皇軍」少尉("목표 위해 죽음 불사할만큼 성실"우등 성적으로 4년만에 '황군' 소위)” (朝鮮語). オーマイニュース. (2004年8月19日) 2015年11月21日閲覧。
- ^ a b c “【満州文化物語(17)】満州国軍の日本人軍官…「軍再興」が幻に終わったのは-”. 産経新聞. (2016年2月14日) 2016年4月14日閲覧。
- ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇(上) 建軍と戦争の勃発前まで』原書房、1976年3月30日、40頁。doi:10.11501/12172188。
- ^ “粛軍の主役と助力者たち(“숙군(肅軍)의 주역과 조력자들”)” (朝鮮語). デイリーコリア. (2015年12月18日) 2016年4月3日閲覧。
- ^ “朴正熙はなぜ「アカ」になった?(“박정희는 왜 ‘빨갱이’가 됐나?”)” (朝鮮語) (2012年6月18日). 2016年4月3日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “韓国軍予備役大佐方圓哲の最初の証言” (朝鮮語). 夢陽 呂運亨 記念事業会.[リンク切れ]
- ^ “朴正煕の伝記(朴正煕 전기)” (朝鮮語). 趙甲済ドットコム. 2023年11月14日閲覧。
- ^ a b 飯倉 2021, p. 94.
- ^ 各奉仕団体等の慰霊行事 - 第18回同徳台第7期生会死没者慰霊祭(平成28年3月28日) - ウェイバックマシン(2016年4月23日アーカイブ分)、千鳥ケ淵戦没者墓苑奉仕会
- 1 満洲国陸軍軍官学校とは
- 2 満洲国陸軍軍官学校の概要
- 3 訓練
- 4 脚注
- 5 関連項目
- 満洲国陸軍軍官学校のページへのリンク