元泉馨とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 元泉馨の意味・解説 

元泉馨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/15 00:32 UTC 版)

元泉 馨(もといずみ かおる、1893年明治26年〉5月11日[1][2] - 1948年昭和23年〉7月15日[1][注 1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。変名・元金福[1]

経歴

愛媛県出身[1][2][3]。小学校・元泉久吉の三男として生まれる[1]。横浜第一中学校(現神奈川県立希望ヶ丘高等学校)卒業を経て、1915年(大正4年)5月、陸軍士官学校(27期)を卒業し、同年12月、陸軍騎兵少尉に任官し騎兵第11連隊付となる[1][2][4]。1926年(大正15年)12月、陸軍大学校(38期)を卒業した[1][2][3]

1927年(昭和2年)3月、騎兵第11連隊中隊長に就任し、陸士教官を経て、1931年(昭和6年)8月、騎兵少佐に昇進し近衛師団参謀となる[1]。1932年(昭和7年)12月、陸軍騎兵学校教官に転じ、1936年(昭和11年)3月、騎兵中佐に進む[1]。同年8月、陸士付となり、騎兵第23連隊付、騎兵第118大隊長を務め、1939年(昭和14年)3月、騎兵大佐に昇進した[1][3]

1939年9月、留守第14師団司令部付となり、捜索第24連隊長を経て、1940年(昭和15年)8月、第17師団参謀長に発令され日中戦争に出征した[1][2][3]。1942年(昭和17年)8月、関東軍司令部付(満州国軍軍官学校顧問)に転じ、1943年(昭和18年)8月、陸軍少将に進級[1][2][3]。1945年(昭和20年)3月、独立歩兵第14旅団長に就任し終戦を迎えた[1][2][3]

1946年(昭和21年)3月16日、北支那方面軍司令部付となる[1]。その後、国共内戦に元金福中将として参戦[1]1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[5]。同年7月、山西省紅軍と戦闘中に戦傷を受けて自決した[1]

親族

  • 兄 元泉威(海軍少将)[1]
  • 義弟 小島俊治(陸軍少佐)[1]

脚注

注釈

  1. ^ 『日本陸軍将官辞典』723頁では7月16日。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『日本陸海軍総合事典』第2版、158頁。
  2. ^ a b c d e f g 『日本陸軍将官辞典』723頁。
  3. ^ a b c d e f 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』379頁。
  4. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』369、379頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」211頁。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「元泉馨」の関連用語

元泉馨のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



元泉馨のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの元泉馨 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS