湖水地方生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/31 15:24 UTC 版)
「ビアトリクス・ポター」の記事における「湖水地方生活」の解説
フィアンセを失ったポターであったが、思い切って湖水地方のニア・ソーリーにあるヒル・トップの農場を購入することに決めた。以前に湖水地方に来たときからニア・ソーリーを気に入っており、いつか物件を購入したいと願っていたのである。また当時の日記には、農場での仕事がノーマンの死の悲しみを癒してくれると記されている。このころの作品には湖水地方に実在する建物や人物がたびたび登場する。『こねこのトムのおはなし』ではヒル・トップの家や庭が舞台となっている。絵本は順調に売り上げを伸ばし印税収入も着実に増えてくると、ポターはナショナル・トラストを支援するため湖水地方の土地や建物を購入していった。不動産の購入だけでなく、水上飛行機の飛行場ができるという噂が立ったときは、抗議文を雑誌へ投稿したり、建設反対の署名運動も行っている。こうした自然保護活動のために購入した土地や建物が増えると、その管理には弁護士が必要となりポターはウィリアム・ヒーリスという弁護士に売買契約や諸手続きを依頼することにした。ヒーリスはポターの自然保護運動に共感し、不動産取引のやり取りが増えるにつれ二人の仲は深まり、ついに1912年6月ヒーリスはポターに結婚を申し込んだ。結婚について聞かされたポターの両親はまたしても格の違いを理由に結婚に反対した。このときポターは46歳であった。困り果てたポターを救ったのは弟のバートラムであった。スコットランドで農夫として生活していたバートラムは実は11年前に結婚しており、それを初めて家族に打ち明けたのであった。娘の結婚に対する反対はやがて弱まり、1913年10月15日にウィリアム・ヒーリスとビアトリクス・ポターはロンドンにあるセント・メアリー・アボット教区教会(英語版)で結婚式を挙げた。 結婚の慌しい時期に作られたのが『こぶたのピグリン・ブランドのおはなし』である。この作品はポターには珍しく男女の愛が描かれた作品となっており、ポターは友人への手紙でこの作品のモデルは私たちではないと、わざわざ断りを入れている。しかしながら多くのものはこの作品をポターの幸せな日々と重ねて見ている。 ビアトリクスの結婚から1年も経たない、1914年5月8日に父のルパートが亡くなった。父親は癌に罹患しポターは見舞いのため4か月間で8度も実家とニア・ソーリーを往復している。残された母親のため、ポターはニア・ソーリーに新たに家を借り入れている。また、4年後の1918年には最愛の弟バートラムが農作業中に脳溢血で死去している。ポターはこの悲しみをローンズリーに手紙でつづっている。
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