海洋考古学の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 15:32 UTC 版)
17世紀には潜水鐘によって、19世紀になるとヘルメット潜水の技術によって水中の遺物の引き揚げが行われた。19世紀中頃からは、アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群の調査が開始される。しかし、本格的に海洋考古学が始まったのは、1943年にジャック=イヴ・クストーによって スクーバダイビングの技術が発明されて以降のことである。「水中考古学の父」と呼ばれるジョージ・バス(考古学者)(英語版)は、1960年から地中海のゲリドニア岬(英語版)沖の沈没船遺構やウル・ブルン岬沖沈没船(英語版)の調査を開始した。スウェーデンでは1950年代から、ヴァーサ (戦列艦)号の引き揚げ調査が、イギリスでは1970年代から、メアリー・ローズ号の引き揚げ調査が行われている。韓国でも1970年代から、新安沈船の調査が、中国では1980年代から、南海一号(英語版)の調査が継続実施されてきている。2013年に国際連合教育科学文化機関は、同機関内にユネスコ水中考古学大学連携ネットワークを結成、日本からは東京海洋大学がそのメンバー校に選出された。 日本の考古学の歴史には、1877年のエドワード・S・モースによる大森貝塚の発掘や、1908年の諏訪湖底曽根遺跡の発見など、その創成期から海洋考古学との密接な関係が認められている。「日本の水中考古学の父」である小江慶雄は、1959年から琵琶湖湖底遺跡の調査を開始した。1970年代からは、日本初の沈没船遺構の海洋考古学調査である開陽丸調査が北海道の江差港で始まり、1980年代から、元寇の古戦場である鷹島神崎遺跡の調査が九州の伊万里湾で始まった。鷹島神崎遺跡は、2012年に国の史跡となったが、水中文化遺産として国の史跡に初めて指定されたのは鎌倉沖の和賀江島である。日本ではこの他、瀬戸内海のいろは丸、和歌山県串本町沖のエルトゥールル号(エルトゥールル号遭難事件)、沖縄のエモンズ (駆逐艦)などの沈没船遺構や、東京湾にある海堡の調査が継続実施されてきている。NPO法人アジア水中考古学研究所は、網羅的な水中文化遺産の全国分布調査を2009年から2011年にかけて実施、その成果は『海の文化遺産総合調査報告書』としてまとめられている。
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