海洋底探査による学術的な否定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 17:52 UTC 版)
「ムー大陸」の記事における「海洋底探査による学術的な否定」の解説
チャーチワードの時代(20世紀初頭)は、太平洋の深海まで潜って海底探査を行うための科学技術力がまだなく、ムー大陸は肯定であれ否定であれ証明する手段がなかった。20世紀後半に入ると、海底1万メートルの海溝最深部でも潜れる深海探査艇(バチスカーフなど)が作られ、本格的な海洋底探査が可能となった。地中を探るボーリング技術も格段に向上し、深海底のさらに下にある地層掘削までも可能になった(地球深部探査船「ちきゅう」も参照のこと)。科学技術の発展により、太平洋の各海域で探査が行われるようになると、「太平洋の海底は、1億年前や数千万年前からずっと海だった」ことを示唆するデータが相次いだ。 1968年から1984年の間に太平洋全域で深海堆積物の掘削が行われ、東京大学海洋研究所の小林和男名誉教授らが2,000超に及ぶ太平洋海底のサンプルからレアアース泥の分布を調べた結果、南東太平洋では平均層厚が8.0メートル、中央太平洋では平均層厚23.6メートルものレアアース泥が存在することが分かった。高濃度のレアアース泥は100万年かかっても50センチメートル未満の堆積に過ぎないとされているため、8 - 23メートル堆積した場所は、数千万年前から海底であったことが示された。 同様に各海域で調べられた中部太平洋のマンガン団塊(生成速度は1,000年間で0.5センチメートル以下)の分布も、現在の太平洋中央域が数千万年前から海底であったことを示唆するデータであった。これは日本でも、南鳥島の近海で密集したマンガン団塊が発見され、海底で長い歳月をかけて形成された海底資源としてニュースになった。 海底堆積物のさらに下にある海底地質調査でも、数千年前からずっと海底だったことを示すデータが出てきた。もしも沈んだ大陸があれば花崗岩質岩石の厚い大陸地殻が海底地質に存在するのだが、各海域で行われたボーリンク調査の結果は玄武岩質岩石の典型的な海洋地殻で、大陸の陥没を示す痕跡は確認されなかった。地質の年代測定では、海嶺部分が最も年代が新しく、海嶺から離れるにつれて年代が古くなるというプレートテクトニクス(大陸移動説)の正しさを証明するもので、太平洋中央域については1億4300年 - 6500万年前という白亜紀からの海洋地殻だったことが判明した。 複数の海洋底探査によって「太平洋の海底は1億年前や数千万年前からずっと海だった」ことが示される一方、約1万2,000年前に突如として海に沈んだというムー大陸の痕跡は、海底堆積物からも海底地質年代からも見つからなかった。また、海洋底探査が証拠となったプレートテクトニクス理論により、大陸プレートが海底に没するには数千万年超の長い歳月が必要である(ムー大陸のように短期間の大陸沈没が起こりえない)ことも、地球科学におけるコンセンサスとなった。現在までに判明した海洋底探査の様々な学術データの統合から、約1万2,000年前に太平洋から突如沈んだとされるムー大陸は存在しなかったと考えられている。
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