浜松のエースとは? わかりやすく解説

浜松のエース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/02 16:45 UTC 版)

鈴木辰己」の記事における「浜松のエース」の解説

鈴木辰己は、浜松オートレース場長らく一人支えてきた大エースである。 1975年3月24日選手登録翌年廃止され大井オートレース場変わり伊勢崎オートレース場新設された際に、当時浜松のエース選手であった山元正次(6期引退)が伊勢崎オートレース場移籍する事となってしまった。そんな、新たなエース誕生期待されていた時期新人時代過ごした鈴木は、その後順調な成長見せ1980年には初の記念タイトル獲得する至った以降浜松中心選手として活躍した。この時期浜松選手のレベルが他地区のそれと差が着けられてしまっているという状況で、鈴木辰己事実上浜松一枚看板として君臨することとなった辰己にはカミソリのような切れ味スタート力が最大武器であった。 しかし、そんな鈴木辰己以ってしても当時特別競走現在のSG競走タイトルには中々手が届かなかった。1983年地元浜松開催され第15回日本選手権オートレース優出果たし優勝戦力走するも、あと一歩のところで飯塚将光9期船橋オートレース場所属)に捌かれ準優勝終わった2年後1985年伊勢崎開催され第17回日本選手権では、かつての先輩である山元正次と共に優勝戦臨み、トップスタートを切るも、篠崎実(9期川口オートレース場所属)に捌かれてしまい、またも準優勝終わってしまった。 更に3年後1988年飯塚オートレース場開催され第20回日本選手権では、参加選手のうちただ一人ニューフジ二気筒を駆り優出優勝戦ではトライアンフメグロ二気筒を駆る他の選手遥かに上回る直線での速力武器勇戦するも、中盤からエンジン変調来たしてしまい、無念の涙を飲んだ。 しかし、1990年第9回オールスターオートレース悲願特別競走タイトル遂に獲得した。更に、その前節一般開催次節記念競走現在のGI競走)も制し川口走路で3連続優勝を飾る。 高橋貢22期伊勢崎オートレース場所属)に破られるまでは、オートレース選手競走ランク連続A級(後にS級改変される)1位の連続記録持っていた。また、浜松所属選手唯一通算勝利数1000勝と通算優勝回数100回の両方達成している。 伊藤信夫24期)の台頭によりエースの座を譲ることになったが、2002年にはGIゴールデンレースを制覇、そして同年SG第21回オールスターオートレース優勝戦では試走タイム3.27を叩き出し、トップスタートを切ると、伊藤猛烈な追い上げ尻目に終始レースリードし続けた惜しくも最終周回伊藤信夫捌かれてしまい優勝逃したが、地元浜松勢がの表彰台独占する結果となった

※この「浜松のエース」の解説は、「鈴木辰己」の解説の一部です。
「浜松のエース」を含む「鈴木辰己」の記事については、「鈴木辰己」の概要を参照ください。

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