浜松の2枚看板
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 08:02 UTC 版)
父:木村光方(元船橋オート所属)叔父:木村太(元伊勢崎オート所属のレーサー)という2世選手。デビューから2ヶ月の1999年6月、勝ち上がりの権利を獲得した最初の節で優勝というオート史上でも同期の竹中修二飯塚所属の2人だけという華々しいデビューを飾る。 2003年前期には、浜松のエース伊藤信夫からS1を奪い3期連続でS1を守る。また、同年には10連勝達成し名実共に浜松の2枚看板として君臨、GIタイトルを3つ取るなど順調な成長を続けた。SG戦線では優勝戦で絶対王者高橋貢と競り合うなどしていたものの、あと一歩のところでタイトルに手が届いていなかった。SGタイトルに最も近い若手との評判だったが、安全性の向上を謳う新タイヤの導入と共に長い低迷期に入ってしまった。しかし、第13回オートレースグランプリで1番人気の有吉辰也を序盤に捌くとそのまま独走、10回目の優出で悲願のビッグタイトルを獲得。その勢いは止まらず、続く日本選手権でも通算150Vのかかっていた高橋を序盤で抜き去ると一気に独走、SG2連勝を果たした。この年は8101万1250円を稼ぎ、賞金ランキングも高橋・永井大介に次ぐ自己最高位の3位と躍進。
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