浜村温泉の発見と勝見温泉の衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/28 15:00 UTC 版)
「浜村温泉」の記事における「浜村温泉の発見と勝見温泉の衰退」の解説
浜村駅付近より北の海側は、江戸時代には湿地帯と砂丘だった。1882年(明治15年)に、この砂丘と旧市街の縁に米子新道が開通した。それによって、それまで人の手が入っていなかった砂丘付近でも家が建つようになり、1884年(明治17年)に道路沿いで井戸の掘削中に温泉が発見された。これが浜村温泉となり、道沿いに旅館が立ち並ぶようになった。当時は湯量は鳥取県で最も多く、温泉客は温泉街のすぐ北の砂丘で海水浴やサンドスキーなどのレジャーを楽しむことができた。 1907年(明治40年)に山陰本線が開通し、浜村駅ができたが、勝見温泉は湧出量が減少して廃れてしまった。現在は両者を統一して「浜村温泉」と称している。
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